9月度休日シナリオ

 

『とある休日の物語 第2話』

 

●笑顔でいられる時間
 警備隊隊長、バート・カスタルが休みの日。
 町の宿舎で過ごす彼のところに、ピア・グレイアムが尋ねてきた。
 部屋から出てきた彼の髪には、また寝癖がついていた。ピアはくすりと笑ってしまう。
「ご飯食べましたか? よかったらまた一緒に」
「はははっ、食ってない。今まで寝てた。来るって聞いてたのにごめん」
 そう笑う彼のお腹がぐ~っと音を立てて鳴った。
「ふふっ、どこか良い場所はないですか?」
 光の差す、明るい場所が良いとピアが言うと、それなら……と、バートはピアを宿舎の屋上へ案内した。

 バートは、街並みが見える方向にピアを誘った。
 ピアは料理を包んできた布をパッと広げて敷く。2人が腰かけるくらいの大きさはある。
「こちらへどうぞ。今日のお土産は……」
 先にバートを座らせると、持ってきたものを取出していく。
 まずはサンドイッチ。チキンにトマトや卵、マッシュポテトがサンドされたものが、複数。
 それからカップにレモンを入れて、その中に紅茶を注ぐ。
「前は前日から何も食べて無いって言ってたから、今日はお腹に優しくて身体の疲れを取ってくれるものにしました」
 食後にはこれをと、パウンドケーキも取りだすと、バートのお腹がまたぐ~っと大きな音を立てた。
「はははは……うん、今日も昨日の夕方から何も食べてない」
 恥ずかしげに笑って、バートは食べていい? とピアに尋ねる。
「もちろんです、どうぞ」
 そうピアが微笑むと、やったーと顔を輝かせて、バートはピアが持ってきた料理を、美味しそうに食べていく。
 ピアも彼の隣に腰かけて、一緒にサンドイッチを食べながら、もう一つの約束していたお土産……港町の人々の話を、バートに話していく。
 協力した作物の世話の成果、近所の子供達と遊んだ時のこと。
 大変だけれど、楽しいことも、明るい話も沢山あることを、バートに伝えていった。
 バートはピアの話を、時に笑いながら楽しそうに聞いていた。
「バートさんは、どうして警備隊に――騎士になろうと思ったんですか?」
 ふと、ピアが尋ねると、「単純にガキの頃カッコイイと思ったから」と、飾りのない返事が返ってきた。
「ピアは? 何で今回の作戦に志願したんだ? ……まさか、カッコイイから」
「違いますよ」
 バートの言葉にピアは軽く吹き出した。
「私は……」
 少し言いよどんだあと、こう話した。
「小さい頃、魔法の力を上手くコントロールできなくて……ある時家族を傷つけてしまいました。
 それで怖くなって、ヒーリング以外の魔法は、あまり使わずにいたんです。
 けど……今回の事で、もう一度自分と向き合いたい、誰かの為になりたいって思ったんです」
 それから、まっすぐバートを見て、真剣な目で彼に伝える。
「バートさんは大切な人です。
 警備隊長として、港町の皆が笑顔でいられるように守ってくれて、いつも笑顔を向けてくれて……。
 けれど、バートさんが倒れてしまわないか、いなくなってしまわないかと思うと……」
 ピアの真剣な瞳が、不安な気持ちで揺れていく。
「そんな事、私……とてもつらくて」
「大丈夫、俺は倒れないし、君たち全員を笑顔で送り出すから」
 安心感を覚える、明るい笑顔をバートはピアに向けた。
 その言葉を、笑顔を信じていたい。消えないと、これからもずっと見ていられると……。
「だから、私はバートさんが(ただの)バートさんとして笑顔でいられる時間を作るお手伝いがしたいです」
 それはどういう意味だろうかと、バートは不思議に思いながら、ピアの言葉を聞いていた。
「港町の住人としてじゃなく、一人の人間として」
「……ありがとう、俺個人のことを、考えてくれて」
 バートは今の素直な気持ちを、笑顔で言葉にした。
 すごく、嬉しいと。


●可愛くて
 アリス・ディーダムは教師のレイザ・インダーを誘って、温水プールに来ていた。
 泳ぎを教えてもらった時と同じビキニ姿で、アリスはプールに入ると端から端まで、一度も足をつかずに泳いで見せた。
「凄く上達したな、こんな短期間で。驚いた」
 レイザは膝上までのハーフパンツにパーカー。練習の時とは違うが似た格好だった。
「今日は練習ではなくて、遊びたいです」
 アリスがそう顔を輝かせてレイザに手を伸ばすと、レイザはくすっと笑みを浮かべ、彼女の手をとりプールの中に入った。
「上着、脱がないんですか?」
「……スタイルに自信ないんだよ、オッサン体型だから」
「もう、嘘ばかり」
 アリスとレイザは笑い合い、少しのハンデを付けて競争をしたり、仰向けになって浮かんでみたり……。
「深い所に、流されないようにな」
 浮きながら、レイザがアリスの手を掴んだ。そのまま空を眺める。
 不思議な青さの空を。空の向こうの本当の空を想いながら。

 ひとしきり遊んだあと。
 休憩所で足湯に入りながら、アリスはレイザの方に体を向けて強請る。
「先生、約束ですよ、腹筋見せてください」
「承諾した覚えはない。改めて言われると、なんか恥ずかしい」
「恥ずかしいだなんて……らしくないですよ。恥ずかしがるような体ではないってこと、わかりますし」
 今日はアリスが腹筋が見たいとせがんだせいか、しっかりパーカーの前を閉めているが、以前プールに来た時は、前をはだけていた。
 だからアリスはレイザが魔術だけではなく、体も鍛えていることを察している。
「……これでいいのか」
 と、レイザは観念して、パーカーの前を開けた。
「割れてますね。筋肉の溝を指でなぞりたくなります」
 言って、アリスがレイザの腹に触れて、左手の指を滑らせる。
「やめろ、くすぐったい」
 笑いながら、レイザは彼女の手をとって、抵抗した。
 ふとそこで、アリスは気付いた。
 彼が握っている自分の手の指に、大切なものがついていない、ということに。
「あ……ちょっと忘れ物を。先生はここで休んでいてください!」
 アリスは一人でプールへと戻っていった。

 指輪。レイザに作ってもらった、大切な指輪。
 大切なものだから、いつでもずっとつけていた。
(泳いだ時に外れたのかな?)
 不安で泣き出しそうになりながら、アリスはプールの周りを調べて、それから中に入って探していく。
 必死に必死に探して、何度も何度も潜って。
 ……そして、見つけだした。大切な宝物を。
「良かった……」
 プールから上がって、指輪を大切に両手で包み込む。
 目からは、涙が落ちてしまう。
 アリスにとってこの指輪は、好きな人から始めてもらった大切な物。
 不安が解けて、ぽろぽろと涙を落としている彼女に、レイザが近づいてきた。アリスの頭の上に置き、何も言わずに優しく優しく撫でる。
「ありがとうございます。あ、今ので、泳ぎまた上達したかもしれません」
 アリスが涙をぬぐって笑顔を見せると、レイザは「お前は本当に前向きで頑張り屋さんだ」と、優しい笑みを浮かべた。
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
 そう感謝の気持ちを口にしたあと、練習の時のことを思い出して、アリスはこう続けた。
「この後、一緒に温泉に入っていきますか?」
「……もちろん」
 ドキッとして、アリスは顔を赤らめた。
「アリスは可愛いな。本当に可愛くて、困る」
 レイザは大きく息をついて、こう続けた。
「大きな岩壁で仕切られてるから、一緒には入れないけどな」
 仕切りは衝立で十分だったのに。たまには混浴の時間があってもいいと思わないか? などと、ぶつぶつ文句を言っている彼を、アリスは鼓動を高鳴らせながら眺めていた。


●二度目のランチ
「何が兄貴はいつでもお嫁に行けるだふざけんなっての。
 俺が花嫁衣裳とか天災レベルじゃねぇか」
 それは、弟たちに自分達の部屋掃除を言い渡した時に、クロイツ・シンが言われた言葉だった。
「ここは美味いもの食って、気持ちあげて……あ」
 市場に、知り合いの姿があった。
「よぅ、そっちも今日は休日?」
 近づいて声をかけると、彼女――カヤナ・ケイリーが健康的な美しさを感じる顔を、クロイツに向けた。
「こんにちはー。うん、お休み。そっちも?」
「休日にした。あいつら俺がいると部屋掃除しねぇ」
 そうため息をついた後、
「昼食、まだなら一緒にどうだ?」
 ごく普通に、クロイツはカヤナを誘った。
「そうね。それで、今回のお誘いも偶然?」
「ん? そうだけど。独りで食うの味気ねぇじゃん」
「もうちょっとなんかさ、大人の誘い方できない? ふふっ」
「あ、ああ……ロマンチックな誘い方ってやつか」
 前回誘った時にカヤナに言われたことだが、考えてもクロイツにはこれ以上の誘い方は思い浮かばない。
「……嫌いな奴とは飯食いてぇと思わねぇから、一緒に食ってくれ、とかじゃ駄目?」
「いいけどね、それでも! 同性の友達ってことで気兼ねなく楽しみましょ」
 私、男勝りっていうか、性格的にあまり女扱いされないのよねーと、カヤナは軽快に笑いながら、前回とは別の食堂にクロイツを誘った。

 今回クロイツが頼んだのは、デミグラスソースのオムライス。
 カヤナは魚の定食を頼んだ。
「家だとソースの好みが分かれて作るとコスト高ぇ」
 届いたオムライスを食べながら、クロイツは軽く愚痴る。
「あいつら家計を何だと思ってんだか」
「あなたに家計任せっきりだからじゃない? 独り立ちしたり、自分の所帯もったら変わるわよ……自覚させるために、あなたが家を出てみたら?」
 魚の骨を器用に退けて、カヤナは自らの口に運んでいく。
 互いに特にマナーなどは気にせず、会話をしながらの食事を楽しんでいた。
「そうはいっても、バラバラに暮らす方が金かかるからな」
「働き者の奥さんもらったら、家計や家事の負担減るわよ?」
「その前に恋人いねぇ」
「……まあ、その顔じゃねー」
「顔? 女から見て、そんなに不細工か?」
 真剣に尋ねるクロイツの顔が、凄んでいるように見えてしまい、カヤナはふふふと笑みを漏らした。
「整っていると思う。でもちょっと近寄りがたい雰囲気かな。好みの子とかいないの?」
「特定の誰かはいないが、自分には可愛い女かなとは思う。外見よりは内面」
「あーダメダメ、目の前に可愛げのない女がいるでしょう? そういう時は俺には君みたいな女かなととりあえず言っておくのよ!」
「いや、さっき同性のダチとして気兼ねなくって言ってただろ」
 笑い合ってから、クロイツは「カヤナこそそういうのあんのかよ」と聞いた。
「そんなの決まってるじゃない」
 カヤナは手を止めて、クロイツを見て微笑んだ。
「あなたみたいな、頼りになりそうな人」
「…………」
 彼女の言葉に驚き、クロイツの食べる手も止まった。直後。
「どう? ドキッとした? こんな感じで好みの男落せるかしら!?」
「は、ははははは……。落せるんじゃね? 野郎は沢山いるしな」
 マテオ・テーペ、主に港町には女性が少ない。
 だから、クロイツにも弟たちにも出会いは少ないのだ。

 食事を終えた後、クロイツは近くの花屋にカヤナを誘った。
 以前から目を留めていた花束を選ぶと、カヤナに「ほらよ」と不器用に手渡した。
「昼飯付き合ってくれた礼と侘び。……口説いてねぇからな」
「私に? 家用じゃなくて!? というか侘び?」
 カヤナは驚きながらも、「ありがとうっ」と、凄く嬉しそうに明るい笑みを浮かべた。


●貴方と一緒だから
 久しぶりに神殿に戻ったサーナ・シフレアンは、自室の整理をしていた。
「よかったら、俺にも手伝わせてくれないか?」
 訪ねてきたラトヴィッジ・オールウィンを、サーナは喜んで部屋に招き入れる。
「でも……衣類とか、あまり見ないでね。子供っぽいのばかりだから、恥ずかしいの……」
 天蓋付のベッドに、ベッドにもなりそうな大きなソファーとテーブル、学習用の机に、本棚、その他にも物入れや棚が置かれていたが、それでも十分な広さがあった。
 白やピンク色のものが多い。彼女の好みだろうか。
「ん、わかった。見られたくないものは見ない。力仕事なら任せろ。高い所にあるものの整理とかも任せてくれ」
 ラトヴィッジがそう言うと、サーナは彼を本棚の方に連れて行った。
「子供の時読んでいた本ばかりだから、箱に入れて、上の方の棚にしまおうかな」
 港町には印刷機などはなく、本は希少だけれど、ここには手書きや印刷された本がいくつも並んでいた。
「魔法学校に寄贈してもいいと思うんだけど……学校も沈んでしまうから」
 寂しそうにサーナが言い、ラトヴィッジは頷いて、彼女に言われたとおり、本を本棚から箱の中に移していく。
「……ん? こっちは割と大人向けの本かな?」
 少し厚めのその本は、文学小説のようだった。
「良かったら俺に貸してくれないか? 読んでみたい」
「うん、他にも読みたい本があったら、どうぞ」
「どれから借りるかな」
 魔法について書かれた本、教科書、参考書……それから、お洒落に関する本が少し。
 あとは日記帳と思われる本があって、さすがにそれは見せてもらえないだろうなと思い、「これはどうする?」とだけ、サーナに尋ねてみた。
 彼女は日記帳を手に取ると、ぱらぱらとページをめくり切なげに眼を細めた。
「辛くない話、聞かせて欲しい。サーナの事をさもっと知りたいから」
 ラトヴィッジがそう言うと、サーナはぽつぽつと、自分の家族について語った。
「お父様は厳しい人。お母様も優しくはなかったかな。でも、それは今思えば私が我が儘だったからで、私のこと、愛して……くれていたってこと、今なら良く分かる」
 洪水が発生した時、彼女は反抗期で両親に反発していたらしい。
 小さなころから身の回りの世話や勉強を教えてくれたのは使用人たちで、平民のような家族としての団欒の思い出はないそうだ。
 それでも、両親と共に王都に行ったときのこと、自然あふれる別荘で過ごした休日のことを、サーナは懐かしそうにラトヴィッジに話した。
 サーナは日記帳の最初の頃のページを開いて、ラトヴィッジに見せた。
 つたない時で別荘で沢山遊んだと書かれていて、花畑の中にいる両親と自分と思われる絵が描かれていた。
「凄く楽しそうな絵だな。そうだ、お返しに今度俺の絵日記も見せるよ。
 そんなには描いてないんだけど……俺、小さな頃はチビだったんだぜ。大きくなりたくて牛乳ばかり飲んでたな。そして腹を壊して……義母に叱られたっけ」
 懐かしそうに、ラトヴィッジは語る。
「思えば、初めて叱られたのはそれで……それから、義母と打ち解けられた気がする」
 彼の話を、サーナは穏やかな目で、頷きながら聞いていた。
「っと、すまない。作業の手が止まってばかりだな」
「うん。でもいいの。片付け、1人でしてると寂しくなるから。思い出も、1人でみたら悲しくなるから……ラトとお話しながらできて嬉しい」
 サーナは少し恥ずかしげにそう言った。
 彼女がラトヴィッジを愛称で呼んだのは、これが初めてだった。
「俺も嬉しい。凄く楽しいよ、サーナ。ありがとう」
 ラトヴィッジの言葉に、悲しげだけれど愛情がこもった目で、サーナは頷いた。


●尊き才人
 領主の館の外れにある、堅牢な建物。
 ここの地下で、リベル・オウスは薬の調合に明け暮れていた。
 この館の地上階に、犯罪者が収容されているということ、魔法の訓練が行われていることも、リベルの耳に入っていた。
 少し迷いもしたが、リベルは騎士団に事件の被害者だと申し出て、アーリー・オサードとの面会を求めた。
 アーリーの方も迷ったのか、面会の場が設けられるまで数週間の時間を要した。
 そして、指定された日に、リベルは館の1階にある面会室へと通された。
 簡素なテーブルと椅子が置かれただけの、何もない部屋だった。
 仕切りなど設けられておらず、アーリーには1人監視の騎士が付き添っていた。
「なんか随分と印象違うな。化粧しないとこうも変わるのか」
 目の前にいる女性は、町民会議の時の彼女とは全く違った。大人しそうに見える。
 予め、騎士に許可をとってあったものを、リベルはアーリーに差し出す。
「こっちは、乾燥させた花が入ってる。湯に混ぜて飲むと心身が落ち着く効能がある。
 もう一つは花の砂糖漬け。ちなみに味は姫さんの侍女からのお墨付きだ」
 アーリーは困惑した表情で、口を開かず、手も伸ばさなかった。
「同じ物をサーナにも渡していて、本当はそっち経由で届けてもらおうと思ったが、できねえっぽいからこうして直接来たわけだ」
 そう言ってリベルは2つの瓶をアーリーの前に置き、向かいの椅子に腰かけた。
「今日はどういったご用件ですか? 謝罪のご要求ですか」
 感情のない声で彼女が言った。被害者として訪れたからには、当然謝罪が求められると思ったのだろう。
「あー、それはお前が帰ってきたら利子つけてキッチリ払ってもらうから、今はいい」
 どういう態度をとったらいいのか、わからないからだろうか。
 面会には応じたものの、アーリーはリベルを見ようとはせず、反省しているようにも見えなかった。
「……まあ正直、俺はまだお前を許しちゃいねえ。
 お前の特殊な事情やら心情を考慮したとして、たとえいつぶっ壊れるかもわからねえほど脆くて小さいこの『世界』が相手だろうと、お前一人の意思で勝手に滅ぼそうとするなんて所業、そう簡単に許せるかよ」
「……」
「何より、俺という尊き才人を傷物にした事が許せねえ。一歩間違ってたら人類にどれだけ損害が出たか……全く恐ろしい」
 そうリベルが熱弁すると、アーリーの口元に笑みが浮かんだ。
「……変な人」
「だが、何の因果か今じゃお互い作戦成功のための協力者同士。
 だったら一旦怨恨を捨ててできる範囲で支援する事を最優先するさ。これもその一環ってわけだ」
 と、2つの瓶を指差して見せる。
「いらねえなら捨てても、お前の騎士サマにくれてやってもいい」
「騎士……?」
 アーリーが隣に立つ騎士に目を向けた。
「そいつじゃねーよ。護ってくれてる男がいんだろーが」
「心当たりないわ」
「そうかよ。ま、俺にはどーでもいいことだ。渡したからには好きにしろ」
「……ありがとう」
 謝罪の言葉も、態度も見せなかったけれど、最後にはアーリーはリベルの目を見て、礼の言葉を言った。
「それじゃ、俺はもう帰る。お互い全力を尽くして作戦を成功させて、晴れて箱船に乗船。未知の世界へいざ出発だ」
「用事、これだけ?」
「そうだ。死にたがりのお前と違って、俺は外でやりたい事が山積してるんだ。そいつを叶えるためにもヘマするんじゃねえぞ」
 リベルは立ち上がりながらそう言い、言葉が終わる頃には部屋にはもういなかった。


■今の自分にできること
 トゥーニャ・ルムナは港町にある騎士団の宿舎を訪れていた。目的は、騎士団員のバート・カスタルに会うためだった。
 宿舎の管理人に声を掛け、バートを呼び出してもらえないかと頼む。
 それを受け建物内に消えていった管理人は、しばらくした後でバートを連れてもどってきた。
「今日は何だ? 用件は短めにお願いしたいところだが」
 バートは、生あくびをしながらそう話す。ここ最近の忙しさに、あまり寝ることができていないかもしれない。疲れが全身が滲み出ているのがトゥーニャにも分かった。
「疲れてるとこごめん、ちょっと火山へ向かう作戦でのことについて、いくつか聞きたいことがあるんだ」
 トゥーニャのその言葉に、バートの顔が引き締まる。特に聞かれたくない話題でなければ、外で話をするか、と返し、トゥーニャを引き連れて宿舎の庭へ出た。
「まず火山へ向かうときに、きみがぼくを背負って行動してもらう、っていうことはお願いできるのかな?」
 立ち止まったバートに促されて、トゥーニャはまず最初に聞きたかったことを質問する。
 それは、事前に自分で試したことを踏まえての話だった。
 実はトゥーニャはバートに会う前に、作戦時に自分の力でできることの限界を試そうと色々と魔法を使ってみていた。
 それは例えば、ガス対策として風魔法を展開している間に、その内側で動く人物を感知することができるか、というものだ。それができれば魔法の効果範囲を、見えないところも含めて調節する判断ができるのではと考えたのだった。
 結果として、それは可能ではあった。ただ、実用可能かというと決してそうではない。風の防壁を張る魔法とその内側を感知する魔法を同時に使うことで消耗が激しくなり、僅かな間しか体力が保てずに力尽きてしまったのだ。
 ちなみにバートには伝えていないことだが、魔法防壁内にいる存在を風の力で引き寄せる事が出来るかも確認した。これも可能だったが、やはり体力はほどなく尽きてしまった。
 これらの結果を踏まえて出たのが先ほどの質問だ。バートに背負って運んでもらえれば少しでも体力が温存できるのではと思ってのことだった。
「それは無理だ。申し訳ないが、俺は体力を温存しなけりゃいけない。火山内は地の魔術師たちで掘り進めていくことになるから、ゆっくり進むことになる。同行し一緒に歩くことはできるだろうけれど、退避の際には誰かに抱えてもらった方がいいかもしれないな」
 しかし、返ってきたのはそんな答えだった。それならば、と全力で魔法を使って体力が無くなった場合に他の人の魔法で体力を回復してもらったとしてすぐに動けるかということも聞いてみたが、それこそ無茶は止めた方がいい、と断言される。
 魔力で回復したあとすぐに動くことは出来ると思うが、回復魔法を掛けてもらっている間はガスを防ぐための防壁が切れてしまう。そうなれば全滅の可能性すらある。体力を使い切らずになるべく回復を受けながら無茶せず防壁に専念すべきだ、と言われてしまった。
「君の莫大な魔力を生かすために体力の消耗をできる限り抑えてくれ。その上で、尽力をお願いする」
 その言葉に、トゥーニャは頷く。
 だがまだ、最後にもう一つだけ聞いておきたいことがあった。
「今回の作戦って、どんな状態になれば成功なんだろうね?」
「極力障壁内に影響を及ぼさずに、火山を鎮めて、君も含めて一般人が全員無事に帰還すること、だな」
 少し考えるかのような間をあけた上で、バートはゆっくりとそう語った。
 トゥーニャはそれを聞いて、分かったと返し、時間をとってくれてありがとうと礼を言ってバートと別れるのだった。


■人それぞれの力
「宿舎にいるってことは、寝てるのかも……寝てたら、起こすのはやめとこう」
 そう呟きながら、アウロラ・メルクリアスは騎士団の宿舎近くまでやってきていた。
 先ほどまで日課となっている魔法の特訓をしていたのだが、やはり火山へ向かう例の作戦の事が気になってしまい集中できず、今回の作戦の中核にいるバート・カスタルに相談しようと考えたのだった。
 宿舎の建物が見えてくる。
 すると、宿舎の前で話し込む者たちがいるのが見えた。近づくと、そのうちの一人がバートであることが分かる。もう一人も見知った顔、トゥーニャだった。
 声を掛けようとさらに近づくと、話が終わったのか二人はその場を離れた。
「ちょっとお話があるんだけどいいかな?」
 こちらへ向かってくるトゥーニャに会釈しつつ、アウロラはバートを呼び止めた。バートは宿舎に戻ろうとしていた足を止め、こちらを振り返る。
「なんだ、今日は千客万来だな」
 彼はそういうと、用件はなんだ、と続けた。
 火山の事だというと、皆同じだな、と返ってくる。トゥーニャも似たような用件だったようだ。
「作戦の詳しいところなんだけど、水属性の魔術師がいればマグマの中に向かう人たちの温度対策もできるってことなんだよね? それでガス対策の魔術師も深部まで行けるようになるってことかな」
 促されて、アウロラは最初の質問を投げる。
「マグマの中では難しいだろう。熟練した者で自分の周囲の温度を少し下げられるくらいだな。マグマそのものを地や風属性の魔法で防いで広い空間を作ることができれば、何とかなるかもしれないが」
 少し考えた後、バートはそう返した。
「じゃあ、地の魔法でマグマの流出を抑えて道を作り、水の魔法で温度を遮断、風の魔法でガスの対策をして、火の魔法で鎮めるってこと?」
 回答を踏まえてそんな質問をすると、だいたいそんなところだという返事があった。
「それなら、やっぱり温度を何とかしないと……魔法薬だけじゃ深部まで行くのには耐えれないってことだよね……はぁ……私の属性が水だったらな」
 やはり自分の属性では深部まではついていけないらしい。そんな結論になりそうで、思わずそれがため息となって出てきてしまう。
 何とか、深部に向かう人たちを助けたい。そのための力になりたい、という思いがアウロラにはあった。
「確かに……水魔術師の協力は必須だ。しかし、そもそも最後までついて行くことにこだわらない方が良いと思う。人数が増えると小回りがきかなくなる。それで作戦に時間が掛かってしまうと、地の魔術師たちの負担も増すしな。どういったことが起こるのかもわからないから、こういう作戦では少数精鋭の方が上手くいくはずだ。だから必要なのは大人数で最終地点まで行く方法ではなく、行く必要がある人物をいかにして送り届けるかだと思っている」
 落ち込んでいる様子のアウロラに対し、バートは冷静に作戦について語った。
 そして一拍の間を置いて、言葉を続ける。
「地属性の魔法も、マグマを防ぐため、退路を守るために人員は必要だ。アウロラ、君には皆をサポートするだけの能力は十分あるのだから、その力を生かして協力して欲しい」
 その言葉からは、アウロラを励まそうとしている気持ちが表れていた。


◆今日のゴハンはこれで決まり!
 釣り道具一式を持つコタロウ・サンフィールドの足取りは、エーヴァカーリナ池に近づくにつれて軽快になっていった。
 出かけた時は「何も考えず無心で釣り糸を垂れるのも一興」とか思っていたのだが、だんだん期待感が混じってきたりで、もういつ鼻歌が出てきてもおかしくないくらいだった。
 勘に任せて港町方面の道を辿っていたコタロウの目に、バゲットが頭を覗かせたバスケットを提げたベルティルデ・バイエルが歩いてきている姿が見えた。
 ちょうど彼女のほうもコタロウに気が付き、笑顔になった。
 どちらからともなく立ち止まり、挨拶を交わす。
「こんにちは、ベルティルデちゃん。買い物帰り?」
「はい。姫様がパンを食べたいとおっしゃいましたので」
「ハハッ、食欲旺盛だね。……あれ? パンなら館の料理人が作ってくれるんじゃないの?」
「港町のパン屋さんのを食べたかったそうで……。ジスレーヌさんがおいしいと言っていたのを、たまたま聞いていたみたいです」
「食欲だけじゃなく、好奇心も旺盛なんだね。ベルティルデちゃんは食べたことはあるの?」
「ええ。町でお手伝いなどをした時に少しだけ。あたたかい味でした」
 その時の味を思い出したのかニッコリするベルティルデにつられて、コタロウも笑顔になった。
「コタロウさんは釣りですか?」
「うん。最近、良い野菜が手に入ってね。新鮮なままサラダにして食べたらおいしかったんだ。それがまた残ってるから、魚料理にも使ってみようと思って」
「新鮮なお野菜と釣れたてのお魚……いいですね。絶対においしいですよ」
「釣れたらだけどね」
「きっと釣れます。大きなお魚が釣れますよ」
 ふと、この前も似たような言葉をもらったな、とコタロウは思った。
(ああ、そうだ。模型帆船を池に浮かべる時だ)
 あの時はベルティルデの言葉通りになったことを思い出す。
「うん、そうだね。何だか釣れるような気がしてきた。……おっと、あんまり話し込んじゃうと遅いって怒られちゃうね。そろそろ行くよ。今度会った時に、釣果を教えるよ♪」
「ふふっ。楽しみにしてますね」
 またね、と二人はそれぞれの行き先へ歩き出した。
 希望を持てたコタロウは、しかし急ぐことなく景色を眺めながらゆったりと目的地を目指す。
 エーヴァカーリナ池に着くと、ここだと思った場所に小型の腰掛け椅子を置いた。
 釣り糸を垂らし、広い池を見渡す。
 造船所からも池は見えるが、ここからの眺めはまた一味違う──そんなふうに感じた。
 遠くにボートで釣りに出ている人影があった。
 楽しんでいるだろうか?
 釣りは引きがくるまでの無為の時間こそ醍醐味と聞いた。
「今日はとことんのんびりするぞー。釣れたら嬉しいけど……ま、どっちでもいいや」
 緩んだ頬で呟く。
 そして、充分満喫したコタロウの桶には、おいしそうな魚が泳いでいたという。


◆ボートでの他愛ない話
 白身ならムニエルや香草焼きか、とメインディッシュに思いを馳せながら釣り道具一式を手に、リュネ・モルはエーヴァカーリナ池に到着した。
 だいぶ前に使用許可をもらった手漕ぎボートが留めてある岸に向かうと、思い描くメインディッシュをごちそうしたい相手がボートの舫い綱を外しているところだった。
「男爵さまも釣りでしたか」
「お? リュネじゃねぇか。お前さんもか。せっかくだ、一緒にどうだ?」
「ええ、喜んで」
 リュネはフレン・ソリアーノが準備していた手漕ぎボートに釣り道具を積み込んだ。
 ボートを押し出して池に進み出ると、リュネがオールを握った。
 そしてそれを、おもむろにフレンへと差し出し──。
「いざ漕ぎ出さん、星の大海!」
「がはははっ! 目指すは宇宙の果ての美しき女神よ!」
 フレンもフレンで妙にノッて、ぐいっとオールを漕いだ。
 彼はさらに続けて声を張り上げた。
「さぁ、船長さんよ。行き先を決めてくんな!」
「いいでしょう。では──」
 こうして決めた池のある辺りで、二人は釣り糸を垂らすことにした。
 遠く、池のほとりでも釣りをしている人影が見えた。
 二人が餌に使ったのは甲虫の幼虫だ。
 リュネが造船所の隅に積んである廃材の枯れ木を割ってみたところ、この幼虫が出てきたので、割っては見つけてを繰り返し集めてきたものだった。
 フレンはと言うと、パン屑を持ってきていた。
「男爵さまは、この池に女神がいるという話はご存知ですか? 先日、漁民の方から伺ったのですが」
「おお、聞いた聞いた! 輝いて見えたそうだな。もったいないことしたぜ、俺もこっちに来とくんだった」
 その日、フレンは自宅でのんびりしていて、ほとんど外には出なかった。
「ほぅ、輝いていましたか。さすが女神。私が聞いたのは、見事なくびれだったということでしたよ」
「それはそれは……」
 フレンは神々しい裸体の女神を思い、表情を緩めた。想像の中で、美しい女神はフレンに微笑みかけていた。思わずその微笑みを追いかけて、池の中へ入ってしまいそうになる。
 ところで、とリュネが話題を変えた。
「男爵さまの女神な奥様はどういう方でしょうか?」
「くびれは消滅してるな。若いってのは、まさに夢、幻よ……ふぅ、この話題になるといつもお互いさまで終わるんだ」
「切ないことですね……」
 自分が身体の衰えを自覚したのはいつだったか、とリュネも遠い目をする。
「突っ込んだことをお聞きしますが、どのような言葉でプロポーズされたのでしょうか? それともお見合い? 亭主関白ですか? 尻に敷かれてしまってますか?」
「おいおい、そんないっぺんに聞くなよ。そういうお前さんはどうなんだ? 女は優先して避難させたとはいえ、お前さんと釣り合いそうなのはけっこういるだろ」
 くびれのある女も、とニヤリとするフレン。
 そうですねぇ、と一息入れてからリュネは答えた。
「近頃は癒しと安らぎを求めるようになりました。相手に求めるものが変わったのでしょう。この年になってきますと、目から鼻に抜けるような利発な方はどうも……」
「ふむ……姫さんか?」
「いえ、そんな。あの方の物言いは正しいのですが、ご自身に鞭打っているような痛々しさも見えまして、少し心配です」
「箱船計画に命賭けてるからな……お、引いてる、引いてるぞ」
 リュネの竿に当たりが来て、二人はあたふたしながら竿を引き糸を巻き上げた。
「おお、これはけっこうな大きさで」
「今晩のメインか?」
「何をとぼけたことを。男爵さまの誕生日祝いですよ」
「そうか、そいつは嬉しいな! おい、もっともっと釣るぞ!」
 二人は賑やかに釣りを楽しんだのだった。


◆伯爵もすなる釣りといふものを
 普段は領主の館で働いているステラ・ティフォーネは、庭にある小さな池で伯爵が釣り糸を垂れている姿を何度か見かけていた。
 その影響だろうか。
 休日のこの日にステラが選んだのは釣りだった。
 前に来た時とは違う場所に小型の組み立て椅子を置く。
「水浴びをしたのはあの辺りでしたね。それほど離れてはいませんが、景色はやや違って見えるものなのですね」
 釣り竿を担いだまま、ステラはしばらく景色を眺めた。
 穏やかな池の眺めは、日々の煩雑さを忘れさせてくれる。
「……あ、このままでは一日が終わってしまいますね」
 それはそれでいいのだが、せっかく道具を用意してきたのだから、使わなくてはもったいないだろう。
 竿を振り、餌のついた釣り針が池に沈む。
 組み立て椅子に腰かけて改めて池を見渡すと、自分以外にも釣りをしに来ている何人かを見つけた。
「気分転換にはちょうど良いのでしょうね」
 伯爵もそうなのかと思ってすぐ、出がけに会った料理人のことを思い出した。
 釣り道具を持ったステラを見かけた彼は、明るく笑って言ったのだ。
「いい魚が釣れたら、特別メニューをこしらえてやるよ!」
 待ってるぜ、と言っていたからには彼は釣果を期待しているのだろう。
 何かしらの魚を持って帰ったら、喜んでくれるに違いない。
 館の全員分は無理だけれど、自分と料理人の分くらいは釣れるといい──そんなことを思いながら、当たりが来るのを気長に待った。
 頭の働きを緩くしてぼんやりと釣り糸や水面を眺めていると、とりとめもない考えが次から次へと浮かんでは消えていった。
 領主の館で掃除をしていた時に通りかかった伯爵が労いの言葉をかけてきたこと、最近港町の人達と交流を持とうとし始めた館の一部の貴族達のこと、自警団員として見回りをしていた時に屋根の修理を手伝わされたこと……。
「屋根の修理なんて、初めてのことでしたね」
 その時のことを思い出し、苦笑する。
 その日はルスタンと組んでいた。彼は身を寄せている農家でも屋根の修理をしたことがあるとかで、ステラにいろいろと教えてくれた。
 同じ風属性の魔力を持つためか、魔法の使い方のコツを聞かれたこともあった。
 ルスタンは、魔法はあまり得意ではないそうだ。
 それから、実家のこと。
 没落貴族と周囲には思われているが、だからと言って貴族の誇りまで落ちたわけではない。
 培ってきた教養で民を導くのが貴族の務めと言うのなら……。
 その時、クイッと釣り竿が引っ張られた。
 ハッと意識を引き戻したステラは、逃げようとする魚をタイミングを計って引き寄せ、少しずつ糸を巻いていく。
 踏ん張る足に力がこもる。
 魚も必死だ。
 思っていた以上の力に、竿を手放さないようグッと握りしめた。
 そうしてようやく釣り上げた時には、けっこう息切れしていたが達成感も一入であった。
 大きさは充分で、これなら料理に使えるだろう。
 ステラは満足そうに微笑むと、次も釣れますようにと願って釣り竿を振ったのだった。


◆医療術師の余暇の過ごし方
 港町で診療所を開いているビルが昼休みを迎えた時、ヴァネッサ・バーネットが訪ねてきた。
「おや、ヴァネッサ。ついに体調でも崩したかね?」
「こんにちは、ビル先生。あいにくピンピンしてるよ。ちょっと、医療についての資料を見たくてね。いいかな?」
「かまわんとも。ついてきなさい」
 ビルはヴァネッサを奥の資料室へ案内した。
 ここにはカルテの他、薬草とその使い方に関する書物や疫病をまとめた書物、ビル自身の研究資料などが保管されている。
 どれも専門的であるため、魔法学校の図書室には置いていないものばかりだ。
 医療術師であるヴァネッサにはちょうどいい。
「この前のログハウスでの講座は好評だったそうじゃないか」
「うん。まあまあの手応えだったよ。これで例の日も乗り越えられればいいんだけど」
「君も働き過ぎなところがある……自分のことも労わるようにな」
 心配するビルにヴァネッサは苦笑した。
 たまの休日にもこうして知識を求めて資料室に籠ろうとしているのだから、これはきっともうそういう性分としか思えない。
「さて、わしは昼寝でもするかね。後でお茶でも持ってこよう」
 書物を開いたヴァネッサを気遣い、ビルは静かに資料室から出て行った。
 ──どれくらい書物に集中していただろうか。
 ふと、ヴァネッサの気が緩んだ。
 顔を上げると斜め向かいにビルが椅子に腰かけて読書をしていて、小さな机の上には湯気を立てるハーブティが置かれていた。ビルが来てからまだ間もないようだ。
 ヴァネッサの視線に気づいたのか、ビルが顔をあげた。
「おお、戻ってきたか」
 奇妙な言い回しに、ヴァネッサは小さく吹き出す。
「興味深いものでもあったか?」
「ああ。自分の見識の狭さを思い知ったよ。これでもいろんな土地を見てきたと思ってたんだけどね」
「己の未熟さを自覚するのは大事なことだ。そうであってこそ成長できるのさ」
 まったくその通りだ、とヴァネッサは頷く。
「わしとて、君から学んでいるのだよ」
 にっこりとあたたかみのある笑顔を向けるビル。
 ヴァネッサがよく患者に勧め、ついこの前もログハウスで開いた講座で話していた『予防』という考え方は、ビルにとっては新しいものだったのだ。
 その考えがないわけではなかったが、それほど重要視はしていなかった。ところが、ヴァネッサと接しているうちに考え方が変わってきたのだ。
「先輩からそう言われると光栄だね。じゃあさ、ちょいとこのページのことで質問があるんだけど」
「どれどれ」
 ヴァネッサが指示したページをよく見ようと、ビルが椅子を寄せる。
 その後も彼女の質問はいくつか続き、納得するまでビルは丁寧に説明した。
 そして次にはビルからヴァネッサの療法についての質問が入る。
 こうしてお互いを高め合える時間は、貴重であり幸せであった。
 気づけばカップは空になっており、午後の診療開始を助手に告げられていた。
「もうそんな時間か。わしは行くが、閉めるまでここにいていいぞ」
「ありがとう。手が必要になったら呼んでくれ」
「そうさせてもらおう」
 再び静かになった室内で、次にヴァネッサが──ビルの言い方を借りるなら「戻ってきた」のは、閉めるぞ、とビルに呼ばれた時だった。
 戸締りの確認を手伝い、外に出たヴァネッサは思い切り伸びをした。
 人工太陽はすっかり傾いている。
「今日は有意義な一日だった。ありがとう」
「またいつでも来るといい」
 ヴァネッサはもう一度お礼を言って診療所を後にした。


◆今晩は楽しく飲もう!
 一日の労働を終え、一杯呑んでいい気分で帰る──そんな客達で賑わう居酒屋兼飯処『真砂』。
 そこに今晩は珍しい客が来ていた。
 港町のまとめ役であるリルダ・サラインだ。
 トモシ・ファーロに誘われて夕食を食べに来たのである。
 二人は隅のほうのテーブルで猪口を軽く掲げあった。猪口と徳利ははるか東の国の酒器だ。
「今日も一日お疲れ様。かんぱーい!」
「乾杯!」
 トモシの音頭で二人は同時に猪口の中身を飲み干した。
「ふふっ。おいしいわね」
「今日も忙しかったからね。でもその分、前に進んでるって気がするよ」
「そうね。明日も気を引き締めていきましょう。ところで、猪口一杯とはいえ、すきっ腹に飲んじゃったけど大丈夫?」
「そんなに弱くないので大丈夫。リルダさんは気晴らしにパーッとやってもいいよ。ちゃんと送っていくので」
「何だか酒飲みの相手に慣れている感じね。もしかして、例のお師匠さん?」
 くすくす笑うリルダに、トモシは苦笑した。
 その通りだからだ。
「師匠は潰れるまで飲むんだよね……」
 酔ってぐにゃぐにゃになった人間を運ぶのは重労働であった。もちろん、介抱手当てなど出ない。
「安心して。前後不覚になるまで飲んだりしないから」
「リルダさんは、その辺しっかり自制できそう」
 つまみと酒をちびちびやりながら、二人は仕事の話から日常的なことまでとりとめもなく話し合った。
 その中で、トモシはリルダの好きな食べ物のことを聞いてみた。
「今はあまり食べれなくなったけど、肉料理好きなのよね。港町だから魚も当然好きだけど、がんばりたい時はいつも肉料理だったわ」
「ガッツ出るからね」
「そうそう。後は果物もいいわね。そのままでもいいし、料理やお菓子に使ってもいいし」
 逆に、苦手なものはほとんどないのだとリルダは言った。
 このあたりから、トモシの頭はほんわかと気持ちの良い霞がかかった状態になってきていた。
 今晩のお酒はとてもおいしいせいかもしれない。
 そんな気持ち良さが顔に出ていたのか、「トモシさんも楽しそうで良かった」リルダが微笑んだ。
 ふわふわした気分のトモシが、子供のような笑顔で返す。
「りるださん笑ったー。あのですねー俺りるださんが笑ってるかお見るとすごくうれしくなるんだ」
「ト、トモシさん? 少し酔っちゃったのかしら……」
「よってませんよーほんきだよー。ほんとにほんとのほんとですー」
 にこにこと無邪気な笑顔でトモシはリルダを見ていた。
 ──と、ここでトモシの意識はいったん途切れた。
 次に頭の中がすっきりした時には、目の前のつまみの皿や料理の皿、徳利も空になっていたのだ。
「……リルダさん?」
「どうしたの? 追加頼む?」
 リルダの頬がほんのり赤いのは、たぶんお酒のせいだろう。
 彼女の前の皿も空だ。
「いえ、もう充分」
(確か途中ですごく気分が良くなって……まるで夢を見ているような……。で、気が付いたらお皿がきれいになってて……あれ?)
 この曖昧な時間は何なのか。
 トモシは何やら嫌な予感に襲われた。
「リ、リルダさん! 俺、何か変なこと言ってなかった!?」
「え……そ、そうね……あなた、酔うと無邪気になると言うか、ある意味危険と言うか……」
「き、危険!?」
「あ、別に暴力的になるとかじゃないのよ。暴れたりしてないから安心して。ただ、あんまり年頃の女の子にああいうこと言ったらダメよ。酔ってるってわかってても、勘違いしちゃうから」
 結局、トモシが何を言ったのかはリルダは口にしなかった。
 何故か照れたように笑い、曖昧にごまかすだけだった。


◆想いは深く一途で
 朝食を済ませて一息吐いた頃、アンセル・アリンガムが借りている家のドアを叩く音がした。
 開けてみると、行きつけの店『真砂』の女将である岩神あづまだった。
「おはよう。どうした、何かあったのか?」
「ええ。これからちょっと……」
 と、あづまは部屋の中にちらりと目を走らせる。
「お節介かとは思ったのですが、お部屋のお掃除でもと思いまして」
 アンセルは室内を振り返った。
 きっちり整っているとは言えないが、散らかっているわけでもない。
 あづまはアンセルの視線がそれた隙に部屋の中にあがった。
「あ。あづまさん」
「別に家探しをするわけではありませんよ。アンセルさんは休んでいてくださいな」
 どこか有無を言わさない雰囲気に押し切られ、アンセルは壁際であづまが働く姿を眺めることになってしまった。
 強引だったかなと思いながらも、あづまは宣言通り掃除を始めた。
 アンセルはなかなか几帳面だが、掃除は慣れていないことがわかった。そういう人にありがちな、丸く掃除されているのが見て取れたのだ。
 窓を開けていきながら、思わず笑みがこぼれた。
「何か……?」
「いえ。それなりに綺麗にはしていますけど、やはり男の人だなと思いまして」
「はぁ」
 よくわかっていないという反応に、あづまはまた笑った。
「これなら、やりがいがありそうです」
「それはそれで何だか……。いや、そうではなく、女将さんにそんなことをさせるわけには……」
「いいんですよ。これはあたしが好意で勝手にやってることなんですから」
「いやしかし、変に噂になるようなことがあれば、あなたの迷惑になるだろう?」
 この言葉を聞いたとたん、やっぱりな、とあづまの胸が切なく痛んだ。
 アンセルの性格なのか、年が離れているからなのか、それとも妻子がいるためなのか、彼はあづまを恋愛対象として見ていない。
 あくまでも行きつけの店の女将さんで、自警団員の一人なのだ。
 あづまの気持ちは、もうそんな関係では満たされないほどに大きくなっているというのに。
「誰かに噂されたって構いやしません。それとも、アンセルさんはお嫌ですか?」
 ここで嫌だと言えるほどアンセルは冷たい人間ではなかったし、あづまのことを嫌ってもいなかった。
 返事に窮したアンセルに、ごめんなさいね、とあづまはほろ苦く笑む。
「でも、アンセルさんがいつまでも気づいてくれないのがいけないんですよ」
 と、今度は悪戯っぽい顔になる。
 まるで少女のように表情がくるくると変わるあづまは、『店の女将さん』にはとても見えない。
 アンセルの目は不思議なものを見るような目だった。
 けれど、さすがにこれまでの言動から、自分に向けられている感情に気づいてしまった。
 けれど──。
 亡くなったとはいえ、妻も娘も今でも愛している。
 では、あづまは……?
 アンセルの思考は止まってしまった。
「困らせてごめんなさい。でも、嘘でも軽い気持ちでもないんですよ」
 その後、特に会話らしい会話もないまま、あづまは掃除と洗濯をきっちり終えてアンセルの家を出た。

 数日後、アンセルが気にしたように、あづまとアンセルの仲をからかう者達が現れた。
 彼らが耳にした噂では、二人は閉店後の真砂で抱きしめ合っていたという。
 そんな事実はないのだが……。
「女将さん、あいつより俺のほうが若いし将来性があるぜ!」
「仕事ころころ帰る奴のどこに将来性があるんだよ。女将さん、俺はどう? 畑もあるから店の役に立てるよ! 年も近いしね」
 アピールする彼らを笑顔でかわし、
「あら、言ってませんでしたっけ? あたしは結婚するなら、うんと年上の人がいいと思ってるんですよ」
 直後、「ぐおー」とも「ぬおー」ともつかない呻きが店内に満ちたのだった。


◆プレゼント
 今日は、池が見えるテーブルで過ごすことになった。
 領主の館の庭にある小さな池のことだ。
 マティアス・ リングホルムは紅茶にもお菓子にも手をつけずに、じっと向かいのルース・ツィーグラーの反応を窺っていた。
 彼女の手には、マティアスが作った髪飾りがある。
 もとは世話になっている親友の母親のものだが、今の生活ではもう使わないからとくれたのだ。
 ありがたくいただいた銀の髪飾りをマティアスは魔法を駆使して加工し直した。
 ルースに似合うように。
 彼女はいろいろな角度から髪飾りをじっくり眺めると、おもむろにいつもつけている髪飾りを外した。
「お、おい」
「気に入ったわ。ありがとう。さっそくつけてみるわ」
 ほどいた髪を束ね、もらった髪飾りでまとめる。
「どう?」
「俺が言うと自画自賛になりそうだけど、似合うと思う」
「思うって何よ。私のために作ってくれたんでしょ。もっと自信持ったら?」
 ルースが薄く微笑む。
 時折見せるようになった親しみのこもった微笑みだ。
 大切そうにルースの細い指が髪飾りに触れる。
「髪飾りなんてもらったのは初めてよ」
「まさか。一国の姫なんだ、いろんなとこから贈り物が届いてたんじゃねぇの?」
「あ……うん、そうね。そうだったような……気がするわ」
 焦ったような変な回答にマティアスは首を傾げた。
「そんなことはいいのよ。ほら、紅茶が冷めるわよ」
 ごまかすルースをそれ以上は追及せず、マティアスはティーカップを口元に運んだ。ほんの少し冷めてしまっていたが、まだ充分に香りを立たせていた。
 お菓子も半分ほど食べた頃、マティアスがぽつりと言った。
「航海のお供に持って行ってくれたらいいなぁと……思ったんだ。俺は乗れるかわからないから」
 もちろん、できるかぎりがんばって席を狙うつもりでいる。
「必ず持っていくから、あなたも来なさい。こき使ってあげるわ」
「はは。もし乗れたら、役に立てるようせいぜい頑張るよ。……あのさ、あの言葉は全部本気だったのか?」
「あの言葉?」
「外に出たい理由が役割だからと言ったアレだよ」
「ええ、全部本気よ。それに、外に出たいんじゃなくて、出なくてはいけないの。役目だと言ったでしょ。ここが閉ざされた時点で、もう決まったことなのよ」
 ルースの声に悲壮感はない。ただ淡々としていて、固い意志があるだけだ。
 マティアスはそんな彼女のことが心配になった。
 一日のほとんどを障壁維持に捧げ、他の時間は魔法具の開発や造船所の視察に使う。
 彼女自身の望みが見えなかった。
「何て顔してんのよ。私は別に自分が不幸だとは思ってないわよ。だって、私は役目をまっとうして、移住先も見つけて、しわくちゃになるまで生きるんだもの。不幸を背負ってる暇なんてないわ」
 ルースは射抜くような目でマティアスを見つめた。
 そこには一点の陰りもない。本気でそうしようと思っている目だ。
 思わず圧倒されているマティアスに、ふ、と表情を緩めるルース。
「あなたはどうするの? 私を気にかけてくれるのは嬉しいけれど、あなた自身の望みは何かしら」
「俺の望みは……そんな先のことまで、まだわからねぇな。今この場でならあるけど」
「どんなこと?」
「疲れているだろうに俺の相手をしてくれる姫さんに、昼寝の時間をあげたいことかな。傍にいるから、安心して寝ていいぞ」
 とたん、ルースの頬が真っ赤に染まった。
「レディの寝顔を見ようとしてんじゃないわよっ」
 怒っているのではない、照れているのだと気づいたマティアスは、盛大に吹き出してしまうのだった。


◆祝福
 出迎えたリック・ソリアーノは、やや緊張した笑顔で「こんにちは」と言った。
「そんなに硬くなるような家じゃないよ。ようこそ、リーネルト家へ。さ、入って」
 イリス・リーネルトは、リックを中に迎え入れた。
 イリスはリビングへと案内する。
 数歩進んだところで、唐突にリックの足が止まった。
 振り向いたイリスは、訝し気に瞬きをする。
「あ、立ち止まってごめん。ただ、いい家だなと思って。あたたかくて、やさしい匂いがする」
「……ありがと。そう言ってくれると嬉しい」
 イリスは熱くなる頬を見られないように前に向き直り、リビングを目指した。

 リビングの食卓にはおいしそうなチョコレートケーキがあった。
「わぁ、すごい! もしかしてイリスが作ったの?」
「うん。何とか材料を集めて……おいしくできたと思う」
「いい匂い!」
 目を輝かせるリックに微笑み、
「座ってて。お茶淹れてくる」
 と、イリスはキッチンへ向かう。
 奮発して手に入れた紅茶に、イリスは熱い湯を注いだ。
 ティーポットを食卓に置きイリスも席に着くと、さっそくとリックが立ち上がってイリスの前に綺麗にラッピングされた箱を差し出した。
「イリス、誕生日おめでとう。君に、良き未来が訪れますように」
 秋の今頃にはイリスの誕生日がある。
 今日はそれを祝うためにリックはこの家を訪れたし、イリスはケーキと紅茶を用意した。
 リックならプレゼントを持ってこないはずはないし、イリスもそれを楽しみにしていた。
 サプライズなんて何一つないのに、イリスの胸は大きく高鳴り、じわじわと頬が熱を持っていく。心臓の音がうるさい。
「ありがとう、リック。開けてもいい?」
「もちろん。気に入ってくれるといいんだけど」
 丁寧に包みをほどき箱の蓋を開けると、中には布でできた三つの白い花から成るブローチが収まっていた。
「かわいい……」
 イリスの口元が緩む。
 彼女は箱からブローチを取り出し、胸に当ててみる。胸元がパッと華やかになった。
「まさか、手作りとかじゃ……」
「あ、あはは……ちょっと頑張ってみたんだ。あんまり粗探ししないでね」
 そんなこと、するわけがない。
 そう言葉にするより早く、イリスは立ち上がっていた。
 目を丸くするリックに、ちょっとだけ動かないでねと早口に言うと、素直に固まった恋人をイリスはあふれる想いのままに抱きしめ、その頬にキスをした。
 身分違いの恋愛への不安はあるし、リックがそのことをどう考えているのかはわからないけれど……。
「──大好き。大好きだよ。ブローチ、大事にするね。ありがとう、ありがとね」
 リックの手がやさしく抱きしめ返した。
 少ししてほぼ同時に我に返ると、二人は照れくさそうにしながら離れた。
 イリスはおとなしく椅子に座り直すと、
「食べよっか」
 と、ケーキに手を付けた。
 甘いケーキが恥ずかしさも溶かしたのか、再び会話がよみがえる。
「そう言えば、この前保留になったリックのお願いは決まった? わたしにできることなら何でもするから、遠慮しないでね」
「あれか……うん、いろいろ考えたんだけど、また一緒にマテオ・テーペにのぼって景色を眺めたいなって。次に見る景色は、とても寂しいものかもしれないけど、それでもイリスと一緒に見てみたいんだ」
 どうかな、と少し不安そうな目をしたリックは、すぐに慌てて付け足した。
「あ、他に行きたいところがあるならいいんだよ。だって、イリスと出かけられるなら、それだけで嬉しいから」
「うん、マテオ・テーペだね」
 楽しみ、と微笑むイリス。
 リックは滅多にない微笑みをしばらくポカンと眺めた後、うっすらと頬を赤くしながら「僕も」と呟いたのだった。


◆そこから生まれるのは、友情か憎しみか
 領主の館のトレーニングルームで汗を流していたレイザ・インダーに、来客が告げられた。
 誰かと聞く前に、メイドを押しのけて中に入ってきた者がいた。
 闖入者を目に留めたレイザの表情が、スッと冷たくなる。
「……何のマネだ?」
「見てわかんねぇか?」
 闖入者──ヴォルク・ガムザトハノフは、フンと鼻を鳴らした。
 今日の彼はヤる気満々でここに来た。その気合が服装にも表れている。
 背中に猛々しいフェニックスが刺繍された上着に上質な皮パンツ、髪はきっちりと後ろに流すようにまとめられている。
「不良ごっこならよそでやれ」
 呆れるレイザを無視して、ヴォルクは室内を見渡した。
「センセも努力してたんだな。なのに何で……いや、いいか。俺と勝負しろ!」
 相手の返事を待つこともなく、ヴォルクは「ハァッ!」と気合を入れた。
 手のひらに風が集まる。
「ディアブルヴェチェル!」
 両手に作った風の塊をヴォルクはレイザの顔面目がけて矢のように飛ばした。
 とっさによけたレイザの髪を数本散らせるが、ヴォルクはよけられることは予測していたので、すぐに次の技の準備に入った。
 ふわりとレイザの周囲に風が舞う。
「さあいくぞ……KG……っ」
 B、と続け魔法を発動させる前に、ヴォルクの背が床に叩きつけられた。
 レイザが馬乗りになってヴォルクを押さえつけていたのだ。
「何のマネだと聞いている。ずい分と基礎を学んできたようだが、腕試しのつもりか?」
「クッ……そんな、生ぬるいモンじゃねェ! クリークヴォルカ!」
 バーン! と破裂音を響かせてレイザが吹っ飛ぶ。
 ヴォルクは唯一自由だった腕をレイザとの間に入れ、圧縮した風玉を開放したのだ。レイザを振り切るためとはいえ、当然ヴォルクもただではすまない。
 一瞬息がつまり、肋骨がきしむ感覚を覚えたが、戦いへの高揚感は痛覚を鈍らせた。
 ヴォルクは素早く立ち上がると、壁に叩きつけられて軽く頭を振っているレイザが態勢を整える前に、大技カルニャフォーニクスを繰り出すための精神集中を始めた。
 ヴォルクの周りに風が集まっていく。
 危険を察知したレイザがハッとして身を起こすと、
「部屋を壊す気か、やめろ!」
 と、近くに倒れていた椅子を投げつける。
 もともと当てるつもりのなかった椅子はヴォルクの横すれすれを通過していくが、彼の集中を乱すには充分であった。
 しかしヴォルクもすかさず発動魔法を切り替え、
「クリークヴォルカ!」
 今度は圧縮空気の開放を、加速力に利用した。
 ドンッ、と音を立てて床を蹴ると瞬く間にレイザとの距離が詰まる。
「ハアアアアッ!」
 ヴォルクはレイザの目を真正面から睨みつけ、顎先を狙って渾身の一撃を繰り出した。
 反射的に引いたレイザだが、そこはすぐ壁だった。
 せめて直撃は食らうまいと、ヴォルクの拳の先を手でかばう。
 それでも、ガツンッと痛々しい衝突音がした。
 くらり、とレイザの意識が揺らぎ、ヴォルクの拳に激痛が走る。
 二人は同時に膝を着いた。
 しばらくの間、室内には二人の荒い呼吸音だけがあった。
 やがてレイザが口の端に落ちる血をぬぐいながら問いかけた。
「満足か……?」
「満足なものか! クソッ、もっと、完膚なきまでにぶっ飛ばしてやるッ」
「……もうやめとけ。その手、使い物にならなくなるぞ」
「かまうものか! お前が生きようとしないから……ッ」
 瞬間、ヴォルクの脳天に拳骨が落とされた。
 見ると、レイザはどこか温か味のある苦笑いを浮かべている。
「いい加減にしとけ。それと最後のアレ、もう二度と使うなよ」
「嫌だ」
「使うなと言っている」
「嫌だと言っている」
 急速に二人の間の空気が冷える。
 第2ラウンドは、ヴォルクの猛打に始まり猛打に終わった。


●特別授業
 念願のマテオ・テーペ登頂を果たした後、レイザ・インダーと一緒に楽しめることって何だろうと、数日考えたメリッサ・ガードナーだけれど、結局決められなかった。
 彼の好きなものは知らないし、女性の身体観賞は自分が楽しめない。
 というわけで「レイザくんが決めて!」と丸投げした結果、彼から部屋に来ないかと誘われるに至った。彼のしたいことが何であっても、それはそれで楽しめるだろうと思っていたけれど……。

「レイザくん、どうしたの!?」
 色々想像をしながら、ほわーんとした表情で館を訪れたメリッサは、血相を変えたメイドに出迎えられ、レイザの部屋へと案内された。
 部屋の中には、濡れタオルで顎を冷やす彼の姿があった。
 一か所だけではなく、複数。彼の顔や腕が腫れあがっていた。
「……転んだ」
「嘘でしょ! どうして転んだだけで、そんなサンドバックにされたような姿になるの。いいよ聞かない、言いたくないなら聞かないからとにかく治療させて!」
 メリッサはレイザに飛びついて、地の魔法を彼の身体に注いでいく。
「もー……なんでこんなこと」
 涙目になりながら、彼の身体をぐいぐい押して、ソファに倒して服に手をかける。
「っ……お前、なに、を……」
「見せて、他にもいっぱい痣あるんでしょ。怪我した場所に直接力注ぐー!」
「ちょとまて……っ」
 レイザは抵抗しかけたが、メリッサの必死な表情を見て、大人しくなった。
 痣は彼の肩や腹部にもあった。
「背中はやられてない。下半身も……見たいなら見てもいいが」
 レイザの笑みが含まれたからかい口調に、メリッサは我に返る。
 彼を押し倒し、組み敷き、服を脱がしているということに気づき、一気に赤くなった。
「えっ。いいよ、今は……そういう気持ちじゃないし」
 殴られた痕だろうか。
 避けたのか直撃はしていないようで、骨折や内臓に影響がありそうな傷はなかった。
 魔法を注いだあと、肌蹴た服を閉じて。
 一番酷い顎に手を当てて、メリッサは彼を回復させていく。
「腕相撲できないね。こんな状態じゃ私が完勝しちゃうし。……楽しいコトするはずだったのに、なんで、もう」
 心配そうに睨みながら、メリッサは彼の手をとった。
 掌は腫れていたけれど、拳は傷ついていない。
 なんだかとても切なくなって、苦しくなって……朝からずっと側にいなかったことを、後悔した。
「メリッサ、内服薬が欲しいんだが」
「ん? 怪我を治す魔法薬のことかな。どこに行けば貰える?」
「じゃなくてさ、魔法を注いでも怪我ってすぐには治らないだろ」
「うん。薬の方が効果時間が長くて良いかもね……」
 魔法の治療は不要と言われたように思えて、メリッサの表情が曇った。
 そんな彼女を見詰めながら、レイザはくすっと笑みを浮かべて。
「学校では教えてくれない、お前にだけの秘術の特別授業だ」
 レイザは腫れた2本の腕をメリッサの首にかけて、引き寄せた。
 そして、驚く彼女の唇を、自分の唇の上に落とした。
「!?」
 レイザの腫れた腕も唇も、温かかった。命を感じてとても嬉しかった。
 でも、僅かに血の味がして、少し切なかった。
「ほら、何してる。魔力を呼吸に乗せて、相手の体内に吹きこみ、浸透させて留まらせるんだ」
「あ、魔法の特別な授業ね……うん、やってみる」
「ちゃんとできるようになるまで、毎日来いよ」
「う、うん」
 でもさ。そういうのじゃなくて、もっとちゃんとレイザくんから……。
 切なげに見つめた後、メリッサは彼の首に腕を回して、顔を近づけた。
 目を閉じ、メリッサはレイザと唇を交わす。
(魔法使うための、集中、難しいよ……レイザくん……)
 楽しかった。きっと互いに。
 少し切なかったけれれど、ただ嬉しかった。
 嬉しかった……。


●すねかじりからの脱却!?
 領主の館にある、使用人たちに割り当てられた部屋。
 その一つに、貴族の青年が訪れた。
「やっほーミーザちゃん元気ー?」
 ロスティン・マイカン
 館のメイドなら誰でも知っている、軟派な魔法学校生だ。
「ロスティンさん、どうしたんですか、その格好」
 いつもの親に与えられた上品な衣服ではなく、トレーニングウェアーを纏っていたのだ。
「体力作り少しでもやってるんだー。ほんと今までサボってばかりだったから体力全くないや。
 腕立てやランニングだけで汗だくだし、同僚の奴等なんか何か悪いもの食ったんじゃないかとか言い出しやがってさ」
「……館の皆も同じこと言ってますよ」
「なんだって!? まったく、人が珍しく努力しようとしてるのをからかうとかねーよなー……、って自分で珍しくとか言ってどうする俺!」
 彼のそんな話を、ミーザは笑いながら面白そうに聞いていた。
「でも、これから少しでも真面目にやっていけばなにかできるんじゃないかなってね」
「うん、そうですね。まだまだ若いですから!」
「そうそう。それで、誰のためなら一番頑張れるか考えたけど。
 俺の場合はミーザちゃんのためじゃないかなってね」
 彼の言葉に、ミーザはきょとんとした表情になる。
「火山に行くんだろ?
 危険な所だっていうのも聞いてる。俺の力が少しでも役に立つのなら頑張ってみようかなってね。
 この通り体力はいまから付けようってレベルだし、ミーザちゃんが邪魔だと思ったら下がるしかないけどね。一緒にいたいと思ったらダメかな?」
「ロスティンさんが行くのなら……行きます。私、魔法の経験あまりないですけれど、潜在能力はいっぱいあるみたいなんです。きっと、ロスティンさんの体力回復できます!」
「うん、頼りにしてるよ。って、情けないよなやっぱり、女性のミーザちゃんに体力面で助けてもらうなんてさ」
 ロスティンが恥ずかしげにそう言うと、ミーザはくすくす笑った。
「いいんです。貴族の皆様のお世話が、私達のお仕事ですから。あっちょっと休んでいってください。でもここには入ってもらえないから……」
 ミーザに割り当てられた部屋は、相部屋でほとんどがベッドで埋め尽くされている使用人部屋だ。
 せめてこれくらいはと、ミーザはカップに冷たいお茶を淹れて、持ってきた。
「ありがとう、実は凄く喉が渇いてたんだー」
 お茶を飲むロスティンの前で、ミーザはにこにこ笑顔を浮かべている。
「……そういえばさ、ミーザちゃん好きじゃない家族沢山いたって言ってたけど。逆に好きだった家族とか人とかいたのかな?」
 不思議そうな顔をする彼女に、ロスティンは「どんな人だった?」と尋ねる。
「どうして、そんなこと聞くんですか?」
「ん、どんな日々があったのか、その中でどんなことを感じたのか。もっとミーザちゃんのこと知りたいなーって」
「んー、お母さんのこと好きでしたよ。あと、年の離れたお兄さんとお姉さん。お姉さんは私がこっちに来る前に、亡くなってしまったんですけれど……。
 2人とも強くて立派な方でした。あ、お兄さんはまだ生きてるって信じてますけれど!」
「そうなんだ……良い兄弟がいたんだね」
 ロスティンがそう言うと、はいっとミーザは顔を輝かせた。
「おっと、長話し過ぎたかな。そろそろトレーニングに戻るな。
 ま、俺みたいな半端者でもちっとは皆の為にやろうと思ってるのだし。
 皆は俺より真面目なんだから、全員が誰かの為に頑張ろうとすればきっと全員が良くなる方法見つかるさ」
「はいっ」
「んじゃまたねー」
「頑張ってださいね、応援してますっ」
 カップを返して、ロスティンは帰っていった。
 彼の姿が消えると、ミーザ顔からすっと笑みが消えた……。


●価値
 自室のソファーにて。アーリー・オサードの向かいにウィリアムは腰かけた。
「すまなかった、希望を探すなんて、でかい事を言って。
 確かな指針を見つける事が出来ずに」
 アーリーが暗い顔をウィリアムに向けた。
「正直なところ、俺は孤児で、立場の薄い人間だったからさ。一族も、国も何も、大きな事は良く解からない。
 国や、一族、なんかの話は正直に言ってピンとこねぇ。火山の問題に近づくにつれて、少し解った程度だ」
 何も言わない彼女に、語りかけていく。
「お前が自棄になった気持ちは今なら、少しは解る気がする。情けない話だが、傲慢だったな」
 ウィリアムは苦笑した。
「最初はヤバイ女だと思った。だが行動を見ていくうちに、危なげで放っておけない女だと思えてきた。
 ……そして、それをどうにかしてやりたいとも」
 アーリーがウィリアムから目を逸らした。
「愛着が湧いて、ここまでやってきたのも、一緒に生きてみかったのかもしれん」
 切なげに、ウィリアムは微笑みかけた。
「アーリーの優しさを知ってるだけでも、嬉しいと思えた事もあった
 惚れてもないのに、一緒に捕まる覚悟でここまでする奴が居ると思うか?」
 アーリーの眉が僅かに動く。
「だが、俺は箱船には乗れんだろう。その価値が無い。
 アーリー、自分を傷つけ続けるなよ、お前は他人を傷つけるのには、心が向いてない、最悪、箱船に乗って、他の地に着いたら、姿を晦ましてもいいと思うぞ」
「馬鹿なこと……言わないでよ」
 途端、アーリーがウィリアムを睨む。
「一緒に死ぬ覚悟があるのに、どうして一緒に生きることを諦めるの!?」
 怒りとも悲しみともとれる表情を浮かべていく。
「ウィル、私、あなたのこと疑ってもいた。でも、今の話を聞いてあなたの気持ち、解った気がする。だからこの間の言葉、訂正する。あなたは下僕じゃない」
 そして、少し迷い「弟のように、想っている」と続けた。
「家族を失った私が、何をしたか知ってるでしょう!?
 ……あなたは優しすぎる。私は優しくなんかない。自分にとって大切なもの以外は、どうなってもいい」
 彼女ははっきりそう言い切った。
「私が箱船に乗るのなら、あなたも一緒に乗るのよ。あなたの価値を認めない者がいたら、こう言えばいい『アーリー・オサードを落として孕ませることができるのは、俺だけだ。まだ時間はかかりそうだが、必ず継承者を産ませる』と」
 私にその気はないけど……と、アーリーは一瞬、目を逸らした。
 あの男が生きている限り、自分の子が聖女の徴を持って生まれることは、なさそうだけれど、ともぽつりと漏らす。
「最初からそれを狙って、私達同室にされたのよ。自然に私達がそういう関係になり、私が子供を産むよう仕向けられていた。
 でも、あなたは私を口説こうとはしなかったし、手を出してくることもなかった。……力では適わないのに」
 そして今の言葉を聞いて。
 ウィリアムが領主や騎士の手駒となり、友や世界のために、自分を操ろうとしていたのではないと、確信が持てたとアーリーは言った。
「そうか」
 とだけウィリアムは言い、アーリーの隣へと移動して寄り添った。
「火山の深部に到達するのは、一族の力が無いと無理なのは解るが、最後に深部に到達した後、魔力を誘導する方法は、一族以外の者や、他のエネルギーでも多少は補えたりすると思うか?」
 分からないと、アーリーは首を左右に振った。
「ただ……。魔力を他人の身体に少しの間留まらせる技があるってこと、あの男から教えてもらった」
 ぷいっとアーリーはウィリアムから顔を背ける。
「でも、私無理だから。た、試したりもできないから」
 頑なに言う彼女の頬が、ほんのり赤く染まっている。
「絶対離さないで、ウィル」


●互いのエゴ
 レイザ・インダーに会いに来たナイト・ゲイルは、館の応接室で挨拶もそこそこ話し始める。
 日誌1冊目の翻訳本提供について礼を言い、ナイトは得た情報から火山を鎮めるための方法についてレイザに尋ねるが、レイザは「確証はない」と首を横に振った。
 継承者の声を乗せた魔力なのではないかというナイトの考えに関しては、そうではないと思うとの返答だった。
「それが分かれば、魔法鉱石も結構発掘できているし、道具の開発に挑んでもいいんじゃないかと思うんだが。
 今回はそれをするまでの時間を稼ぐだけで良いんじゃないかって思ってな」
「ここ以上の情報と技術を持っていた王国も開発できず、継承者は犠牲になってるんだろ? 到底ここの設備と技術だけでは無理だ」
 ナイトに言葉に、レイザはそう答えた。
 集まった情報で、火山に向かう者たちをサポートする方法が見つかった。
 しかし、継承者の身を犠牲にせず、火山を鎮める方法は王国にも存在していなかったという事実も判明した。神殿の情報は過去の記録ではあるが、近年王国が水の魔力を暴走させてしまったのだとしたら、今でも溜まった魔力の解明も、人の技術で鎮める方法も見つかっていないということだ。
「困難な状況から誰かを守りたい助けたいって思ったとき、一番難しいのは自分を守って助ける事だ」
 ナイトはレイザに、穏やかに語りかける。
「守りたいって思った奴の顔を思い浮かべたら、大体はそいつらも同じように守ろうと頑張っている奴の顔を思い浮かべるんだから……そいつが自分たちの為に犠牲になったって言われたら守られて残された奴らは辛いぜ?」
「だから、誰にも言うつもりはなかったんだ。これ以上知らせるなよ」
「あんたが戻らなければ、親しい者は察するだろう」
「親しい者なんていない。触れられたくないことに踏み込んできて、守りたいだとか辛いと言われても迷惑だとしか言いようがない」
「本心じゃないだろ。気づいてないなら言っておこうと思ってさ、自分のエゴを押し付けたらそういう事もあるよって、それでもやるエゴイストになれるか? ってさ」
「……お前には、エゴに見えるのか」
「ああ、そして俺のエゴはこうだ。今は時間を稼いで、そこまでする必要をなくさせる手段を見つける。
 俺一人じゃ無理だけど、あんたと初めて会った時のように皆で力を合わて全力で挑んだらいけると感じたんだよ」
「継承者を犠牲にせず、時間を稼ぐ力は障壁維持に使われている。
 だらかやむを得ず、本来の方法をとるんだ、ナイト」
 少し考えて、レイザはこう続けた。
「俺が……いや、お前達皆が躊躇すれば、多くの犠牲がでる。2年半前、神殿の力で救えたのはほんのわずかな範囲」
 住処を守ろうと残った者、彼等を助けようとした者。多くを護ろうとした者こそ犠牲になった。
「火山は障壁の外にある。道を開いた後、迅速に鎮めず、活性化させてしまったらどうなる?
 水が、洞窟を通じて、この地を沈めようとするならば、神殿は水の障壁で遮断する決断をせざるを得ないだろう。洪水の時のように」
 火山を鎮めに向かった者たちが、戻っていなかったとしても――。
 一瞬見せた、辛そうな表情から、ナイトはレイザの心情を感じ取った。
「お前が神殿に行き、サポートする方法を皆と見つけ出してくれたこと、感謝している。
 自分を犠牲に生命力全てを捧げようとする奴がいたら、止めてくれるよな? お前自身も犠牲にすること、ないよな。今までのお前の言葉から、確信できる。お前は俺の友でも部下でも仲間だとも思っていないが、信頼している」
 どうかそのままの心で。
 誰一人、民の犠牲を出さないでほしいと、レイザの目は語っていた。


●高嶺の花
 貴族のマーガレット・ヘイルシャムは、騎士のバート・カスタルを庭園へと誘い出していた。
 可愛らしい花々に囲まれながら、長椅子に並んで腰かける。
「席、空いていてよかったですね、バート」
 彼を名前で呼ぶことに慣れていないため、マーガレットは気恥ずかしさを感じてしまう。僅かに赤らんだ顔を隠すように、バスケットの中から取り出したサンドイッチを、バートと自分の膝の上に乗せた。
「味見をしてもらっていますから、大丈夫です」
「え……。まさかこれ、君が作ったのか?」
「……はい」
 料理は決して得意ではなく、今回のサンドイッチもメイドに監修してもらい作ったものだ。
「驚いた。貴族って普段自分で料理しないだろ。
 ……うん、美味しい。美味しいよ」
 彼の表情は明るく、言葉に嘘はなさそうだ。
「それで、身分のことを言うのはなしでお願いします」
 バートはサンドイッチを頬張りながら、何故? というような不思議そうな顔をしている。
「そもそもバートは身分違いというけど、私の祖父はヘイルシャム家の娘だった祖母と結ばれて当主となりましたが、元は騎士でした。
 祖父のことは祖母からよく聞きましたが、私が騎士に興味を持つのは祖父の血のせいかもしれませんね」
「貴族とお近づきになれる騎士って、元々それなりの身分だった奴だろ。俺はさ、港町出身の出世とは無縁のはずの辺境騎士だったからさ」
「バートは、ウォテュラ王家の血を引く高貴な方とお友達ではありませんでした?」
「ああ、まあそうか。そういえば俺の親友は没落貴族の子だったし、レイザも貴族だ」
 子供のころは、身分なんて全然気にしてなかった。喧嘩も対等にしていたと、バートは思い出話を、懐かしそうにマーガレットに話した。
「別に今も、身分をそんなに気にしてるわけじゃないんだけどさ……」
 言ってバートはマーガレットをじっと見て、それから少し照れたように、視線を自分の手に移した。
「マーガレットは特に綺麗で、貴族というか神秘的な感じがして、同じ人間のようには見えなかった。高嶺の花のように見えてたんだ、最初から」
「生まれも育ちも違いますけれど、同じ人間です」
「そうだな……。それで貴族というか、マーガレットはどんな幼少期を過ごしたんだ?」
 療養生活の時も含めて聞きたいとバートは言い、マーガレットは昔の事を思い出しながら、楽しかったこと、辛かったことをもバートに話していった。
 マーガレットにっての日常の話は、バートにとっては異世界の物語のようだったらしく、興味深そうに話を聞いていた。

 食事と雑談を終えて立ち上がり、歩きはじめて数歩。
 マーガレットは立ち止まって、振り向く。
「千の言葉を言い連ねても、私のこの想いを伝えきることは叶いません。ですから、ただ一言、この言葉を贈ります」
 バートは不思議そうに、マーガレットを見ている。
「あなたを愛しています」
 一瞬にして、バートが硬直する。
「……昔書いてた小説のヒロインのセリフとして考えたものです」
 そう言って、マーガレットは彼から視線を外した。
「当時の私は、恋愛した経験がなくて、これでいいのか分からなくて結局使わなかったのですけど……でも今なら、きっとこれでよかったんだと思えます」
 目を伏せて、マーガレットは心を落ち着かせる。
「貴方には本当に感謝しています。
 ただ死を待つだけだった私に、生きていることの意味を教えてくれたことを」
 顔を上げて、マーガレットはバートに柔らかな微笑みを向けた。
「今日も付き合ってくれてありがとう、バート」
「……ありがとう、マーガレット。君と出会えて本当に嬉しい」
 眩しいものでも見るかのように、バートは目を細めて、温かさを感じる笑顔を見せた。

 



タイトルの前に
■がついている物語は、鈴鹿高丸
◆がついている物語は、冷泉みのり
●がついている物語は、川岸満里亜
が担当いたしました。

マスターより

鈴鹿です。

休日シナリオへの参加ありがとうございました。

今回はお二人分を担当させていただきました。楽しんでいただければ幸いです。

これからもよろしくお願いいたします。

 

こんにちは、冷泉です。
休日シナリオにご参加していただいた方、またご指名してくだった方、ありがとうございました。
それから、ご指名なしの方の一部を担当させていただきました。
本編ではグランド、サイド共に厳しい状況になっていきますが、休日シナリオではリラックスしていただければと思います。
イベント? あれは異次元……(笑)
今後もどうぞよろしくお願いいたします。

川岸です。シナリオへのご参加ありがとうございます。
今回もご指名分全て執筆も担当させていただきました。
ご指名以外のサイドの話題につきましても、NPCの返答に関しまして意見を出させていただいております。
10月の休日シナリオはメインシナリオ第8回のアクション締切後のリアクション公開になります。メインシナリオ絡みのご確認等いただきましても、締切前にお返事できないです。どうかお許しを。

メインシナリオ/サイドに参加いただける方は、貴重な1回を無駄にしないよう、リアクションの他、これまでの連絡事項をもご確認いただけましたら幸いです。
色々と制限が設けられていますが、年齢に関しましては誕生日を迎えましたとご明記いただければ、1歳年をとったとして行動可能です。
また、情報の受け渡しの際には、どの程度の情報を教えるのか教える側が明記することをお勧めいたします。NPCが隠していることや、機密情報を漏らしてしまうとなりますと、情報を提供したPCのNPCからの信頼や、社会的な信用度が激落ちします。情報交換すると書かれていても、どの程度なのか判断しかねることが多々ありました。
詳細のご記入は、私信欄をご利用くださいませ。
私信欄にも余裕がない方は、挨拶、敬語、敬称不要です!

休日シナリオの後書きらしくなくてごめんなさい。
10月の休日は、ほのぼの楽しみましょう!