イベントシナリオ第1回リアクション

 

『鍋を囲みましょう』

 

第1章 食材集めに行こう
 完成したログハウスを前に、リュネ・モルは両腕を組んで立っていた。小さく「うむ」とつぶやいて振り返り、「これでようやく鍋パーティーが出来ますね」と言った。
「あなたは見てただけでしょう」
 リューク・クラインが笑って言うと、リュネは「いやあ、腰がねえ」と言って笑い返した。
「しかし、本当に間に合ってよかった」
 リュネはもう一度ログハウスを見上げる。
「ここでみんなが集まって鍋をつつく。このご時世に、何ともありがたいことじゃないですか」
「そうですね」
 リュークもそこに並んで、同じように腕を組んでログハウスを見上げた。
 40人以上は横になれるほどの大きさのある小屋。今日集まるらしい人の数を考えても、余裕がありすぎるほどである。「誰かがいたずらにじゃれあって、せっかく完成したこれが壊れなければいいのですが」とリュネはこぼし、息を吐いた。
「ま、取り越し苦労ですね」
 リュネは振り返り、すでに集まっている人たちに声をかけた。
「それでは、鍋の材料調達や、スープづくりなどをお願いします!」
 リュネの声に、奥のほうから手が上がった。
「あのー」
「ん、トゥーニャさん?」
 手を挙げたのはトゥーニャ・ルムナだった。
「もう行っちゃった人もいるんですけど」
「え?」
 リュネが見回すと、確かに数人減っている。
「『我は貴様らに、最高の動物性蛋白を与えよう。その為に、もう行かせてもらう』とか言ってました」
 トゥーニャのことばに、リュネは顔をしかめて何かを言おうとしたが、それを飲み込んで別のことばを吐く。
「まあ、材料調達であれば、いいんじゃないでしょうかね」

「っくしゅんっ!!」
 深い森の中でくしゃみをした男がいた。ミリュウである。
「あー」
 彼は鼻をすすり、「医者の不養生とは、我もまだまだであるな。いや、むしろ感染した菌、あるいはウイルス、貴様もまた我と対等なほどの才を有しているということか?」とこぼす。それからにやりと笑った。
「なあ、どう思う、そこのお前」
 ミリュウの目の前には、体長3メートルはあろうかという巨大なクマが立ち上がり、ミリュウを見下ろしていた。グルルと低く唸り声をあげ、見るからにミリュウを警戒している。クマの行動速度、そして殺傷能力が極めて高いことは周知の事実である。ミリュウももちろんそれを知らないわけではない。しかし、ミリュウは多くの人々がするような『逃走』という行動には出ない。ミリュウには自覚があった。それは、自分がただ一方的に狩られる側の生物ではないというものである。いや、むしろ逆、狩る側の生物だとさえ思っていた。
「さあ、喰うか喰われるかの勝負だ。思う存分、この天才に抗って見せるが良いッ!」
 ミリュウが咆哮する。それに合わせるように、クマは全身を躍動させ猛然とミリュウに襲い掛かってくる。その数瞬後、人間のリーチの外側から、クマの掌底が飛んでくる。ミリュウは、叩きつけるように振りかぶられた前脚の内側へと入り込み、ほとんどクマに抱き着くほどにまで間合いを詰めた。
「天翔朱雀流、肉絶骨破――ッ!」
 がら空きになったクマの懐に、ミリュウの右拳が突き刺さる。クマが情けない悲鳴をあげ、よろめき、そして地面に崩れ落ちた。勝負は一瞬だった。いや、ミリュウはこの一瞬だけを狙っていたのだ。
「うむ」
 ミリュウは満足そうにうなずいて自らの拳を見つめた。

 もちろん、こんな危険な思いをして材料を集めているものばかりではない。トモシ・ファーロは同じく深い森の中にあったが、山菜を取っていた。薄汚れている『元・白衣』には、これまでに摘まれた山菜が少量包まれていた。
「ん」
 トモシは少し低くなった湿地の際に、セリらしきものが群生しているのを見つける。遠い東の彼方の地から、旅人が持ち込んだものがいつの間にか自生したのだろう。
「あれは、たしか……」
 彼は「セリ」という名前は知らなかったが、その独特の香りが意外とどのような料理にでも合うことを知っていた。じっと草の様子を観察する。セリによく似た野草でドクゼリというものがある。名前の通り有毒で、間違って食べると吐き戻してしまったり、お腹を下したり。それくらいならまだ可愛いもので、全身の痙攣が止まらなくなって、息ができなくなったりもする。これはトモシ自身の体験談でもあるのだ。
 トモシは葉のにおいを嗅ぎ、特有の香りがあるかどうかを確認している。そして、根の大きさを確認する。可食のものは髭根だが、有毒の個体にはタケノコのような大きな根がある。この2つを見れば、それがセリなのか、それともドクゼリなのかは判別できる。
 彼は「うん」とつぶやいて、それを地面から引き抜く。どうやらセリだったらしい。見ると、似たような野草が群生しているが、厄介なのはセリとドクゼリは同じような環境でよく育つということ。トモシもそのことはよく知っている。一つ一つ丁寧に、それがセリなのか、それともドクゼリなのかを調べながら引き抜いていく。
「これ、ひょっとしたら家の中でも育てられるかも」
 なんとなくひんやりとした湿地のような条件であれば、もしかしたら可能かもしれない。トモシは「やってみよう」とうなずくと、包みを持ち上げて立ち上がった。おそらくは先人がほとんどセリを取っていってしまったのだろう。群生した野草のほとんどはドクゼリだったが、それでも少しのセリを手に入れられたのは幸いだった。

 ところ変わって。ファルは洞窟の入り口近くに生えていたキノコをじっと見ていた。
「この白くて長いのは、キケンなやつ。赤いのも絶対ダメ」
 ファルが見ていたのは、ドクツルタケとカエンタケ。どちらも猛毒で、万が一にでも食べたら死に至るほどの毒性がある。食べなければどうということはないが、仮に手で触れてその毒成分がほかの食べられるキノコについてしまってはいけない。彼はそれをちぎって捨てるわけでもなく、ただ見過ごす。
「これはいける」
 ファルが摘みあげたのは、淡い褐色のキノコであった。汁物にしても、煮物にしても、炒め物にしても美味しい種類のキノコ。ファルは時折これを自分で調理して食べることもあった。ブナシメジという名前のものであることを、彼は知らない。重要なのは、食べられるかどうか、ということである。
 ファルがこれまでに採ったキノコはほかに、タモギタケ、シャカシメジ、ヒラタケ、シイタケなど。袋ですべてが一体となって、どれがどれだかは分からなくなってしまっているが、彼は食べられるかどうか、記憶をたどりながら確認して摘んでいた。
「これは……」
 彼が立ち止まったのは、群生している地味なキノコだった。シイタケのような色味と、決して大きくない笠。
「大丈夫そう、かな?」
 それを摘みあげて、笠の裏側を見る。
「……黒い」
 ファルは一瞬どきりとしたが、「シイタケだよね」と言ってそれを袋に放り込んだ。ほとんどいっぱいになった袋を抱え、あとは昔にもらったお酒と、「せう油」なる黒くてしょっぱい調味料をもって、ログハウスに戻るだけとなった。

 洞窟の反対側の崖では、男女の絶叫が響いていた。
「背中の筋肉意識して! 腕伸ばす! 膝は伸ばさない! 重心壁に寄せて!」
 メリッサ・ガードナーの彼を励ます声に「うぉぉっ!」とヴォルク・ガムザトハノフが応える。彼らが採ろうとしているのは、ブルーベリーと山芋の子実であるムカゴ。トレーニングが重要であることは言うまでもない。しかし、彼らが採ろうとしている食材がある場所のことを考えれば、この鍋の材料集めで崖を登る必要性については考えないこととしたほうがよさそうである。とにもかくにも、ヴォルクはメリッサの声に励まされながら、崖を登っていく。
「ふう」
 崖を登り切ったヴォルクは額の汗を腕で拭い去り、メリッサを見た。
「いい風だ……我を讃えているかのごとき、いい風……我は、この頂を征服せり……!」
 柔らかな風が吹いている。シャツの裾がはためいて、遠くの緑の香りがここまで届いてくる。
 メリッサが指をさす。
「あそこに、ハート形の葉を見かけたのよ。それは、お芋の葉。今から取りに行きましょう」
「了解した」
 その指示をし、また受けるためだけに、彼らはここへと登ってきたのだ。彼女の指示した場所は、この崖からさらに数キロは離れていそうである。メリッサが崖を降りていく。ヴォルクは彼女の降りていくルートを見、目を閉じた。網膜に焼き付いたイメージを反芻しながら、遠くから吹く風を聞く。食材集めでさえその行程は、ヴォルクにかかれば修行の一部となるのであった。

 マティアス・リングホルムとエイディン・バルドバルは、そろって池のほとりに来ていた。エイディンは「一緒に釣りに行かないか」とリック・ソリアーノを誘ったが、リックは別にやらなくてはいけないことがあったらしく、残念そうな顔で「また今度」と言われてしまった。釣り糸を池に垂らしながら、エイディンは頬杖をついて水面を眺めていた。
「エイディンさん」
 マティアスが少し離れたところから彼に声をかけた。
「なんだ?」
「釣り競争でもします?」
「……ん?」
 エイディンはマティアスの言ったことがぴんと来なくて、首をかしげて彼を見た。
「ああ、いや」
 マティアスはぎこちなく微笑んで、「ただ釣るよりも面白いでしょ?」と付け加える。
「好きにしたらいい」
 エイディンは微笑み返す。2人の竿はもうかれこれ1時間近く動いていなかった。マティアスがそんな提案をするもの、このままただ黙々と釣り続けるのは面白くないと思ったからかもしれなかった。
「それじゃあ」
 マティアスは竿を引き上げ、餌を付け直す。土を掘ってミミズを拾い上げる。ミミズはこれからの自分の運命を知ってか知らずか、手の中で暴れている。マティアスは、手際よく針から溺れ切ったミミズを外して池に投げ込むと、代わりに新鮮なミミズに針を通す。そしてまだミミズが暴れているうちに、池へと針を投げ入れた。
 そんなもんで釣れるかね、とエイディンは黙ってその光景を眺めていた。しかしそれから十数分後、これまで動きのなかったマティアスの竿の先が、いきなりびくんと跳ね上がったのを見て、思わず「なにっ」と声をあげてしまった。
「デカいっ……!?」
 マティアス自身もこれに驚いたらしく、右に左に引っ張られながら、それでも魚に負けないようにぐんぐんと糸を引いていく。
「おらっ……!」
 そしてとうとう、ぐいと引っ張って、その魚を陸へと引き上げることに成功した。エイディンはその魚の大きさに、目を見張った。小さく見積もっても50センチメートル以上はある。マティアスはまだ水を求めて暴れる魚の尾を握り、エイディンにそれを見せつけた。
「……どうっすかね!」
 その笑顔はマティアス自身の勝利を確信したものであり、また同時に、この巨大魚との格闘との勝利をこころから喜ぶものだった。だが、その屈託のない笑みは、エイディンの闘争心にも火を付けた。
「そんなものか」
 ついさっきまで「勝手にしろ」と言っていた男の口から、そんなことばが出た。エイディンは同じように竿を引き上げ、餌を付け替えた。この池に、大きい魚はそう多くないはずだ。いるとすれば、まるで主のようなやつか。エイディンの餌は、生きたミミズではなく練り餌。針の先から色の抜けた練り餌を外し、池に投げ捨てる。それから、新しく一粒を針の先端に付ける。糸の先を池に放り込む。当然、すぐにアタリが来るわけでもないので、エイディンはマティアスに話しかけた。
「……そうだ、マティアス」
「なんですか?」
「俺は今日、鍋には参加しない。だが、適切な調理方法を伝えておこうと思ってな」
「え、参加しないんですか?」
「ああ。俺が食べるより、みんなが少しずつでも多く食べてくれれば、それに越したことはない」
 マティアスはそれに何とも言い返すことができず、「そうですか」と首を軽く縦に振った。
「魚は死んで時間が経つと臭みが出る。捌くのは鍋の準備と合わせて行うと良い。胆のうは傷つけないように丁寧に取り除く。泥を吐かせる時間はないが、手早く捌き、丁寧に洗えば泥臭さも抑えられるぞ」
「なるほど」
 マティアスは魚を見つめながら、そういった。
 それから、一時間近くは経った。もっと長い時間が経過したのかもしれない。
「この分だと、俺の勝ちっすね」
 エイディンは不服そうに、マティアスの顔をにらんだ。と、次の瞬間。
「ん」
 エイディンは勇んで竿を手に取った。ぐんと引くと、魚に針ががっちりと噛んだ手ごたえを感じる。暴れる魚の躍動を受け止めて、それに合わせるように優しく糸を引いていく。
 ばしゃぁっ、と激しい水の音と共に池からあげられたのは、マティアスの釣り上げた魚に負けずとも劣らない大きさの魚だった。
「……これで、引き分けかな」
 エイディンは少し悔しそうな表情を浮かべ、マティアスに魚を渡した。
「まだ釣りを続けるのか?」
 エイディンのことばに、マティアスは「もちろん」と返した。

 食材集め班の多くが野山や池に行っていたのに対して、トゥーニャは街に来ていた。彼女のお目当ては、鍋に入れることは滅多にない『アレ』である。
「変わりダネだけど、絶対おいしいと思うんだよねー」
 彼女はニコニコとしながら雑踏の中へと消えていった。

 

第2章 会場設営の続き
 造船所には、リュークがやってきていた。
「フレンさん、いますか?」
 リュークの声に、奥から男爵が顔をのぞかせる。
「ん、どうした?」
「リュネさんのお使いです」
「おお、鍋パーティーの話か?」
「それです」
 フレンは「こっちに用意してあるぞ」と言って、リュークを奥の間へと通した。部屋の隅には、きれいに汚れの落とされた机とイスが並んでいる。
「これ、全部借りていってもいいんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます!」
 リュークは、ぱぁっと明るい笑顔を向けて、それから頭を下げた。
 大きな手押し車に、フレンに用意してもらっていた机を2台と、イスを10脚積み込む。なかなか時間はかかったが、一つ一つの重さがそこまででもないこともあって、よどみなく作業は進んでいった。2人は台車の上に積みあがった山を見て、ふう、とため息をついた。
「こんだけあれば足りるか?」
「おそらく大丈夫だと思います。足りなさそうなら、もう一度来ても大丈夫ですか?」
「ああ。まだ机はもう1つあるし、イスもあと10や20はある」
「ありがとうございます!」
 リュークの礼に、フレンは満足そうに笑った。
「あ、そう言えば、リュネさんから、フレンさんからワインを貰えないかと言われたんですけど、どうです?」
「ワインか」
 フレンは「んー」と眉間にしわを寄せた。そして棚の引き出しを開け、その奥のほうへと手を突っ込んだ。奥から、がさごそと何かを引きずる音が聞こえて、暗闇からビンが出てきた。
「生憎ワインはねぇが、これで良ければ持っていけ」
 ビンを半分ほど満たした、琥珀色の液体。
「ブランデーだ。ちびちび飲んでいたんだが、まあ、みんなで楽しくやれるならいいだろう」
「ありがとうございます!」
 リュークは大きく頭を下げて、それを受け取った。
「それじゃあ今晩、会場でお待ちしてますよ!」
 リュークのことばに、フレンは「ああ、またあとでな」と返した。

 

第3章 鍋を囲んで
 日も傾きかけてきたころ、会場には続々と顔が揃ってきていた。ロビン・ブルースターはリックと共に、こっくりと魚のあらで出汁を取った透き通るスープをのぞき込んでいた。
「おいしそうなにおい」
 リックがのどを鳴らすと、「本当に」とロビンも相槌を打つ。ここの鍋は、どうやら貴族中心で運営されそうだ。池でとれたばかりの魚、森で自生していたセリ、アウロラ・メルクリアスが持ってきた白菜とじゃがいもなどがその材料として並んでいる。
「お待たせー」
 そこに現れたのは、街で何かを仕入れていたトゥーニャである。彼女の腕には、大きな何かが抱えられている。ロビンは彼女の持ったそれを指さして聞いた。
「トゥーニャさん、それは?」
「これ?」
 にぃっ、と彼女は口角をあげた。
「パンだよ」
「パン? 鍋に、パン?」
「うん!」
 トゥーニャは即答し、鍋の具材たちと同じ列に固そうなバケットをごろんと置いた。
「お鍋の出汁を吸って、おいしくなると思うんだよね」
 ロビンはその光景を想像する。とろとろに溶かしたチーズに浸して食べたり、コーンポタージュに付けたりしたことはあるが、そのどちらもが味の濃いものである。今彼らが作っている魚出汁のさっぱりした塩味に合うかどうか。
「何事もチャレンジチャレンジ」
 トゥーニャは笑いながらバケットにナイフを入れていく。ザクザクといい音を立てながら、パンが一切れずつになっていく。
「もしお鍋にあわなかったら、そのまま食べてもいいし」
 トゥーニャのことばに、ロビンは「そうですね」と首を縦に振った。
 隣は建物のちょうど真ん中、もともとこのログハウスに備え付けになっているテーブルだ。ここの鍋の中では、黒い液体が沸騰して、甘いにおいを放っていた。
「煮えてきたー!」
 コタロウ・サンフィールドは鍋の中を覗き込んだ。彼の魚は貴族鍋に取られてしまったが、代わりにアウロラから白菜をもらっていて、それがすでにくたっと火が通り、鍋の中でとろけている。
「これがスキヤキね」
 アリス・ディーダムも同じように鍋を覗き込み、おたまで中をかきまぜた。ミリュウの取ってきた熊肉は、意外にも料理酒とハーブの力で臭みが取れているようだった。
「わたしの持ってきたコレは、たぶん食べれませんから」
 アリスは苦笑いして、そのキノコを後ろの棚に置いた。代わりに、ファとリックのシイタケが、十の字に切り目を入れられて鍋に浮かんでいる。
「いい具合だね」
 コタロウがにやりと笑った。こちらの鍋も、そろそろ準備が整っているようだった。
 問題は一番末席の鍋である。こちらは、まるで状況が不明だった。ファルのキノコのうち、シイタケ以外のものがアクシデントによってすべて入ってしまった。マーガレット・ヘイルシャムの持ってきた肉はまだ普通のものだが、ウィリアムの持ってきた塩漬けのトカゲも同時に入っている。
「これ、大丈夫なのかしら」
 マーガレットは青ざめながら鍋を覗き込んだ。イリス・リーネルトが庭先で摘んできたタンポポが、少なからず灰汁を出しているらしかった。もちろん、食べられないものではないことは皆承知の上でこの鍋に入ってはいるのだが、この下準備の時点で取っても取ってもどこからか湧いてくる灰汁に嫌気がさして、いつからか誰もそれをしなくなっていた。
「問題ないだろう」
 ウィリアムも鍋を覗き込んだ。
「死にはしない」
「そういう基準で言えば大丈夫かもしれませんが」
 アウロラはにっこりとして「あのトカゲなら絶対大丈夫です」と、なぜか自信満々にそう言った。ウィリアムは「なんでそんなことがわかる」と聞いた。
「だって、トカゲって爬虫類でしょう? 鶏肉と同じよ」
「鶏は鳥類だろう。まあ、鳥ほどうまくはないだろうが、肉には違いない」
 2人のやりとりに、マーガレットは卒倒しそうになりながら、よろよろと椅子に腰かけた。

 

☆   ☆   ☆


 全員がログハウスに揃ったころには、それぞれの鍋は具材にしっかりと火が通り、食べられる瞬間を待つだけとなっていた。
「皆さん、集まりくださりありがとうございます」
 リックのことばは、まるで子どもが言うものとは思えないほどはっきりとしていた。
「今日は、おいしいお鍋をみんなで囲んで、楽しみましょう!」
「おおーっ!」
 誰からともない歓声が上がり、人々は口々に「乾杯」の声を上げた。子どもは湯冷ましや、リエル・オルトの用意した香草茶でのどを潤した。大人の中でも酒に明るいものは、ラトヴィッジ・オールウィンの持ってきた梅酒や、フレンが開放したブランデーを水で薄めて口にする。
「うまいなぁっ……!」
 自分で持ってきた酒を自分で褒めてしまったラトヴィッジだが、それも仕方がない。お酒は非常に貴重品となっている。酒飲みにとっては、なかなかつらい状況が続いていた中でのアルコールなのだ。味がいいのは間違いないが、それにも増して、酒を飲んでいるという事実、それそのものが彼の心を満たしている。
「さて、どの鍋から行こうかな」
 ラトヴィッジは深皿とスプーンを手に、少し遠くから鍋の全景を見た。

 貴族たちが囲む鍋は、なかなかにいい出来となっているようだ。近付くと、ステラ・ティフォーネが彼から深皿を受け取る。そしておたまでスープと白身魚、白菜や岩神あづまの持ってきたブロッコリーなどを取り分けてくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 ステラは小さくそれだけ言った。ラトヴィッジは皿の中をじっと見た。ランプの明かりに照らされて、スープの表面に浮いたきめ細やかな脂が光る。立ち上る湯気の香りが、この皿の中の味を保証している。食べる前から、よだれが止まらない。
「いただきます」
 ラトヴィッジは皿に口をつけ、スープをすすった。
「んーっ……」
 それから低くうなって、目をつぶった。口の中に広がる、さっぱりとした魚のうまみ。そこにわずかに感じる、柑橘のような香り。おそらくはハーブの一種だろう。とても「鍋」という分類に入っているとは思えない贅沢なつくりに、彼は思わず「うまい」とそれだけ言った。そして魚の身をほぐし、口に運ぶ。出汁が抜けた後とは思えないジューシーさ。ふわふわの柔らかい身が舌の上でほろりと崩れ、濃厚なうまみが襲ってくる。
「たまんねえな……」
 ラトヴィッジは思わず笑みを浮かべると、また梅酒を口にして、「くぅーっ」と唸った。
 イリス・リーネルトは同じく貴族鍋をつつきながら、その中に入っている「ふにゃふにゃの何か」に気が付いた。
「これ、何ですか?」
「パンですよ」
 先ほどトゥーニャが意気揚々とパンを投入していた様子を見ていたロビンは、困惑したような顔で笑いながら答える。彼は自分の分をよそい、最後にパンをすくいあげた。
「食べて、みますね」
 イリスの元まで鼓動の音が聞こえそうなほどに緊張した表情を浮かべ、ロビンはパンを口に運ぶ。
「……どうです?」
「これはね」
 ロビンが、にやぁっと笑った。
「美味しいですよ。スープを吸ったパンが、意外にもよく合っています」
「そうなんですね、よかった!」
 イリスはとても安心したように言うと、リックの肩を叩いた。
「どうしました?」
「ほら、はい」
 イリスはスプーンをリックの前に差し向ける。「あーん」と彼女が言うと、リックは少し照れながら口を大きく開けた。
「そんな、子どもじゃないんですから」
 リックは口の中のものを飲み込んで、恥ずかしそうに抗議の声を上げた。
「いいんですよ、わたしからの好意、というやつです」
「僕は毒見役かい?」
 ロビンはまだ若い2人のやり取りを見て、楽しそうに笑った。
 ステラは隅っこで警戒態勢を取り続けているナイト・ゲイルに、鍋の入った皿とスプーンを渡している。
「食べないのですか?」
 ナイトは驚いてぎりっと力強い視線で彼女を見た。
「わたしは結構。警備がある」
「そうは言っても、食べないというのも失礼ではありませんか」
 ステラのことばに、彼はちらりと考えた。警戒用の鳴子や罠は充分に仕掛けた。確かに、ここで少し食事を取ることくらいは許されてもいいのかもしれない。もちろんその間に襲撃が発生することも考えた陣形、立ち位置、行動が必要であることは言うまでもない……。
「それならば、いただきましょう」
 ナイトは彼女から皿を受け取り、貴族鍋の一団に背を向け、入り口をにらむようにして皿に手を付けた。
「そこまで警戒しなくても」
 ステラは思わず少しだけ吹き出した。
「万が一のことがあってはいけませんので」
 そう言って、一口食べる。
「これは……!」
 ナイトは「これは」何なのか、その説明を一切することなく、次から次へと胃に入れていく。
「ごちそうさまでした」
 そして、あっという間に食べきった。
「ありがとうございます、生き返るようでした」
「もう一杯、いかがですか」
 また、ナイトは少し考えた。ここでもう一杯貰うということは、行儀のいいことなのか、悪いことなのか。そしてはにかみながら、「いえ、自分でよそいますから」と言った。
 エリザベート・シュタインベルクは貴族鍋を前に、ベルティルデ・バイエルに耳打ちして「どうやって食べたらいいのです」と聞いた。
「どうやって、と言われましても」
 ベルティルデがはにかみながら首を傾げた。
「わたしも、よく存じ上げないのです」
 エリザベートは同じように首を傾げ、「困ったわね」と言った。
 先ほど、ステラに取り分けてもらったナイトは、今度は彼女がしたように、自分の皿へと鍋の具をよそう。エリザベートとベルティルデはその様子を見て「まあ」と言った。
「このようにするのですね?」
 エリザベートが見よう見まねで自身の皿に鍋の具材をよそうと、「それで」とナイトを見た。
「あとは、スプーンで召し上がられたらよろしいかと」
 ナイトは変に尊敬の眼差しを受け、困惑しきりである。
「あら……おいしい」
 エリザベートは驚いたように目を見開いて、ベルティルデを見た。
「これ、おいしいですわ」
 繰り返すと、ベルティルデは「それはよかったです」と微笑み、自らも鍋に手を付ける。
「おい、メイドさん」
 呼ばれたベルティルデは「はい?」と鍋もそこそこに彼に目を移す。
「最近の姫さんは自分がここを守ることだけを考えていて、守るべきものが見えてないんじゃないかと思うぜ」
「……どういうことです?」
「先だけを見て足元が疎かだとつまらないことでつまづく、ってことだよ」
 ナイトが笑うと、「たしかにそうかもしれませんね」とベルティルデはうなずいた。
 2人が真面目な話をしているのをよそに、鍋の美味しさに釘付けになってしまったエリザベートは、うきうきの笑顔で話しかける。
「このお鍋、ロビンさんが持ってきてくださったジェノベーゼソースをかけてもまた美味しいですわ」
 彼女はそう言いながら、別の器に入った緑色に輝くソースを手に取った。そして、ベルティルデの皿に、たらりと数滴かけてやる。
「……いい香りですね」
 フレッシュバジルの香りが、爽やかさを増して場を和ませる。
「ああ、頬が落ちそうとはこのこと……!」
 あまり大声をあげてははしたないと思いながらも、エリザベートはその声を抑えることができない。
「ナイトさん、もしご存じならこのレシピ、わたしにも教えてくださりませんか?」
「え、おれ……いや、わたしですか?」
 ナイトは焦って語調を崩しながら「存じ上げません」と言った。そして、続ける。
「鍋は、みんなで食べるからこそ美味しいのです。もちろん、お一人で召し上がっても美味しいでしょうが、この味にはなりません」
「……そう、なのね」
 エリザベートは頬を赤らめて、「おかわりいただきます」と小さくうつむいた。
 どうやら、貴族による貴族のための鍋は、大成功だったようである。

 

☆   ☆   ☆


 こちらは中央、庶民の囲む鍋。貴族鍋を一口食べた後のヴァネッサ・バーネットは、そのこげ茶のスープに目を見張っていた。おいしそうな香りが立ち上っているのはわかるが、その中身が分からない。彼女が持ってきた松の実はこの鍋の中に入っていたが、甘辛く香ばしいにおいにかき消されて、その存在は感じ取れない。
「……いただきます」
「あ、ちょっと待って!」
 メリッサが、彼女にたまごを手渡した。
「ん、たまご?」
「このお鍋は、タレのような感じで、生たまごと一緒に食べてね」
「ん……」
 ヴァネッサに一抹の不安がよぎった。不衛生な生たまごには菌が付着しており、場合によっては死に至るほどの重症になる。たまごを突き返そうとしたヴァネッサを、メリッサがわくわくした顔で見守っている。
「んん……!」
 ヴァネッサはたまごを握りしめて、「なるようになれ」と念じた。いずれにせよ、もう1つの鍋……なぜか黒い煙の立ち上っている庶民鍋に手を付けたなら、何かしらの重症になることは目に見えている。それならば、遅効性である生たまごの方が数百倍マシだ。
「いただきます」
 彼女は意を決して、卵を割った。透き通る白身と、ぷりんと弾力のある黄身。ヴァネッサも生たまごは嫌いではなかったが、医に精通した後は食べるのを控えていた。先割れのスプーンで黄身を割り、軽く混ぜる。熊の肉と白菜、ムカゴ、シイタケをたまごに絡めると、ランプの光に反射して、すべてが黄金に輝いて見えた。
 口に運ぶ。
「お、これは……」
 美味しい。貴族鍋のあとにこの熊すき鍋に手を付けようとしたことを、ヴァネッサは当初後悔していた。「どうせ貴族鍋のほうが美味しいに決まっている」とたかを括っていたのだ。ところがどうだろう。まったく方針の違う味付けではあるが、こちらも負けず劣らずではないか。
「また、このムカゴがいい味を出しているな」
「あ、それわたしが取ってきたの」
 メリッサがにこりと笑った。山芋と同じく、加熱するとほくほくになるムカゴ。甘辛い割下を吸い、中までよく味がしみ込んでいる。
「こういう煮込み料理ってのは、貧しい土地でもそれぞれに根付いてたりするもんだ。この黒い液体はよく分からないが、どこかの郷土料理なんだろうな」
 ヴァネッサが言うと、メリッサは「スキヤキっていうらしいの」と返した。
「悪いが、おかわりもらってもいいか」
 ヴァネッサが笑顔で聞くと、メリッサは「もちろん」と返した。
 アリスは当初、あっさりとした鍋を食べたいと思っていた。同時に、レイザ・インダーやハビ・サンブラノと色々会話したいと考えてもいた。しかし、ハビはこの庶民鍋の前に陣取り、レイザもハビと一緒に熊すき鍋をつついていた。アリスは2つの欲求を天秤にかけて、食べたいと思っていた鍋を諦めることにした。
「先生方」
 アリスの声に、2人は振り返った。
「アリスか」
 レイザが梅酒を片手に振り返る。
「どうした?」
「あの、レイザ先生に、少し聞いてみたいことがあって」
「……なんだ」
 レイザがグラスを煽る。
「先生、覗きが趣味だって聞いたんですけど」
 そのことばに、彼は梅酒を吹き出した。
「なっ、何をいきなり!」
「あ、いや、その」
 慌てている2人の様子を見て、ハビが大笑いする。
「面白いことを聞くなあ、きみは」
「ハビ、ちょっと待て」
 レイザが顔を赤くした。そしてアリスに向かって「いいか」と言う。
「どこから聞いたか知らんが、そういうことは人前で聞くな。嘘が真実のように広まっていく」
「すみません」
 アリスはしゅんとして、頭を下げた。
「まったく」
 レイザは再び熊すき鍋に手を付ける。
「レイザ先生のお噂はかねがね」
 ハビも悪乗りする。
「だから、やめろっての」
「あの、本当にごめんなさい……先生方ともっと仲良くなりたいと思って、それで」
「そう思っての第一の質問がそれか?」
 レイザも思わず笑いだす。
「面白い子だ。……いいだろう」
 レイザはぐいと彼女の肩を抱き寄せて、「もっと色々話そうじゃないか」と言った。
「あ、ずるいですよ、レイザ先生」
 ハビもそう言って、アリスに微笑みかけた。
 鍋の端のほうで、コタロウはロスティン・マイカンを捕まえていた。ロスティンが手当たり次第に貴族鍋側にいた女性をナンパし始めていたからだ。
「いや、いいんですけどね?」
「いいなら放っておいてくれない?」
 ロスティンはマイカン家の子息。貴族鍋側に参加していたとしてもおかしくはない。だが、彼がこの熊すき鍋のテーブルを陣取ったのは、このログハウスの中心がここであり、全方向の女性に向かって『色々な』お話ができるからであった。
 一方のコタロウはというと、彼もまた多くの人と話をしたいと思っていた。ロスティンとの大きな違いは、話しかける対象が女性以外にも及んでいるということ。単純に、楽しく談笑しようと思っていたのだ。
 ところが、ロスティンがベルティルデに話しかけているのを目撃した。それも、かなりの色目を使って。ベルティルデが困惑の表情を浮かべているのを見て割って入った、とこういう次第である。
「今さ、魔術学校で課題が出てんの。『マテオ・テーペの現状と課題、その中で我々が解決するために出来ること』っていうテーマのレポート。んで、ベルティルデちゃんに、そのことをちょっと聞いていたわけ。わかる?」
 ロスティンは妨害がよっぽど気に食わなかったのか、頬を膨らませて目を怒らせている。声を押し殺して、ベルティルデに聞こえないようにそういうと、コタロウをにらみつけた。
「それならそこに魔術学校の先生がいるのに」
「いやいや、宿題を出している側の先生にヒントを聞きに行くやつはいないだろ」
 ロスティンはコタロウのことばに顔をしかめた。
「そういうわけで、俺は今忙しいの。わかる?」
「でもそれ、ナンパでしょ?」
 コタロウの的確なツッコミに、ロスティンは目を泳がせて、「ちげぇし」と言うのが関の山であった。
「……まあいいか」
 コタロウは肩をすくめて、ロスティンに背を向けた。
「ほどほどにしたほうがいいですよ」
 彼はそれだけ言うと、再び熊すき鍋をつつき始める。
 ロスティンは「何だか分からんが助かった」と口の中でつぶやいた。そして、改めてベルティルデに声をかける。
「ごめんなさい、邪魔が入ってしまって。それで、ベルティルデさんの周りで、何かお困りのこと、ございませんか?」
 彼はコタロウに向けていた言葉遣いとまるで違う紳士的な態度で、ベルティルデとことばをかわし始めた。
 コタロウは代わりに、鍋に近づいていたリベル・オウスに声をかけた。
「どう、最近」
 ざっくりとしたコタロウの質問に、リベルはこれまたざっくりと「まあまあだ」と答えた。熊すき鍋にはいつの間にか、リベルの持ち込んだ七草が放り込まれていた。ちょっと野菜が物足りなかった分、栄養バランスが劇的に改善されていた。
「野菜をちゃんと食え、野菜を」
 リベルは面倒そうにそう言いながら、くたっと火の通ったそれらをコタロウの器によそってやる。
「ありがとう!」
「礼はいい」
 コタロウはすき焼きに舌鼓を打つ。そして思い出したように「あっちの鍋、大丈夫かな」とつぶやいた。
「あっちは、もうダメだろ」
 リベルは小さく首を横に振った。
「せめてこっちの鍋は、ちゃんと食えるものにしようや」
「……そうだね」
 コタロウはもう1つの庶民鍋から目を背けた。

 

☆   ☆   ☆


 さかのぼること数分。
 リベルはもう1つの庶民鍋のところにいた。本来、彼はみんなと1つの釜を共有するのを好まないたちだった。だが、「貸しを作れる」「宣伝になる」という点で納得し、このパーティーに参加していた。だからこそ、「ただまずいだけの鍋には近づきたくない」と思っていたのだ。ところがどうだろう。一番末席の庶民鍋を囲んでいる人たちは、みな楽しそうに大笑いしているではないか。料理がうまく、また話も弾んでいるものだろうと思って近づいて行った。
 それが間違いだった。
 灰色のスープには、何らかの果物と、少量ではあるが見覚えのある毒キノコ、タンポポに、ぎゅっと固く締まっていそうな肉が入っている。
「どうぞどうぞぉー、うふふふ」
 リエルが大笑いしながら皿を奪おうとしたので、思わずリベルは手を引っ込めて、「結構」と言って熊すき鍋へと逃げてきていたのだった。
 その末席のカオス鍋は、いまだに煮込まれ続けている。
「うふふふ! おいしくないーっ!」
 無残にも犠牲になったマーガレットは顔を赤く青くさせながら笑っている。塩漬けトカゲから出るほんのりとした塩味、ブルーベリーの甘みと酸味、アク抜きを忘れられたタンポポの渋み。それらが混然一体となって、人類が経験してはいけない味を醸し出している。
 にもかかわらず、彼らがみんな笑顔なのは、一体どういうことか。原因の1つは、そのあまりのまずさにあった。あまりにまずいものに直面した時に出る、困惑の笑み。もう1つの原因は、リベルが毒であると見抜いたキノコの1つにあった。
「笑いを止められないのですが……! うふふふふ!!」
 マーガレットはすっかり皿を置いて、その場で口に手を当て大笑いしている。
「ぐっ……くくく……俺もこんなおかしいのは初めてだ……」
 普段は仏頂面のウィリアムも、抑えきれないらしく頬が緩んでいる。
 ファルが最後に採っていた「大丈夫そう」なキノコは、ワライタケだったのである。毒性は低く、キノコの本体を食べなければ何ともないが、食べると笑いが止まらなくなる。効果は長ければ半日程度持続するが、ただそれだけであって、命に別状はない。そして、ワライタケ自体の味は良好なのである。味が悪いのは、ほかの食材同士の相性の問題だろう。
 もちろん、責任は誰にもない。強いて言うなら、キノコの選別をしているときにフレンがぶつかり、何も区別されることなくすべてが入ってしまったことが問題だったとは言える。彼にだって悪気があったわけではないのだから、せめるわけにもいかない。大切なことは、これからどうするか、である。
「食べれないー! こんな美味しくないもの、初めてですわ! うふふふ!」
 マーガレットは目から涙を流しながら、お腹を抱えている。貴族であるマーガレットのこころに、庶民の料理がどう映ったのか。「みんなこんなものを喜んで食べているのかしら」と思ったのかもしれない。せめて彼女が真ん中の熊すき鍋に座っていれば。すべては後の祭りであるが、毒性のほとんどないキノコであったのが不幸中の幸いである。
 体の弱い人のために安全な食材を取り分けようと思って近づいたあづまは、「さすがにこの鍋には手を付けられない」と思った。これは、体が丈夫だとか、そういう問題で乗り越えられる料理ではない。彼女が踵を返した瞬間、リエルが彼女を捕まえた。
「あづまさん!」
「ひっ……」
 思わずあづまから悲鳴が上がった。
「どうぞ食べてみてください! おいしくないですよ! ふふふふ!」
 がたがたと震えながら、あづまは振り返った。鍋を直視できない。いや、それはもはや鍋と呼ぶべき代物ではなくなっていた。何より、毒キノコが入っている。そしてあのいつもはおしとやかで、絶対にあんな風に大笑いしたりしないマーガレットが、この鍋のせいで暴走しているのを目の当りにしたら、とてもじゃないが手を付けられない。
「お、おなかいっぱいなので」
 あづまは苦し紛れにそう言い訳したが、「いいからいいから! ふふふ」とさらりとよそわれてしまう。
「う……!」
 いやでもそれらを直視せざるを得ない。見ると、何かがまだ皿の上で沸騰しているのか、ぷくりと小さな気泡を作って弾けさせた。においは壊滅的ではない。見た目が最悪なのだ。少しでも食べるべきか、それとも――。
「いただきます」
 意を決して、あづまはスープを一口すすった。
「んんんん!?」
 そして眉間にしわを寄せ、絶叫した。
 口の中に広がるフルーティーな香り。それを下支えする塩味と、古くなった肉の脂のにおい。野草の持つ灰汁のえぐみ。思わずこれまで食べたすべてのものを吐き出しそうになって、あづまは「ごちそうさま」と言って皿を置き、貴族鍋のほうへと逃げて行った。
 このデンジャラスな鍋を囲むものの中には、それでもまだワライタケを食べておらず、意識のはっきりとしている者もいた。どちらかと言えば、これほどの惨事である場合、意識を保てているほうが悲劇である。アウロラはウィリアムとリエルにがっちりと肩を組まれて、逃げ出せないままこの鍋を目の前にしていた。もちろん、ウィリアムもリエルも、普段はそんなことはしない。どちらかというと、どちらも大人しく、また礼儀正しい人たちだ。この鍋のあまりのまずさと幻覚作用のキノコがそうさせているのだろう。絶対に、ワライタケを食べてはいけない。しかし、かといってほかの具材が美味しく食べられる状況になっているかと言われれば、決してそんなことはない。アウロラは小刻みに震えながら、「助けて」とほかのテーブルに視線を送った。数人と目が合ったが、すぐに反らされたか、或いは「ドンマイ」と異常なほどに優しい視線を投げかけられただけだった。
「あそこの棚に飾ってあるキノコも入れてみよう」
「いいですね、楽しそう!」
 ウィリアムとリエルは焦点の定まらない目で、棚の上に置かれているカラフルなキノコを指さしている。あれは、アリスが持ってきてインテリアにした「たぶん毒キノコ」である。
「見た目からして危ないですよアレ。やめましょう? やめましょう?」
 アウロラは涙目になりながら懇願する。
「どうせこの鍋全部毒みたいなもんだ」
「ですです!」
「ひぃぃ……!」
 ワライタケの毒は、通常の薬では消えない。その代り、ある程度の時間が経って自分の体の中で毒が代謝されれば、まったく無害。それを知っているからこそ、医術者たちもまた、何もしてやれないのである。リベルも、さすがにこの代謝を早めるための薬は持ってきていなかった。しいて言うなら、たくさん水を飲ませて、早く代謝する手助けをしてやるくらいが関の山だ。リベルは「少し落ち着いたら助けてやるか」と熊すき鍋を口に運んだ。入っていたワライタケの量から考えても、大した事件にはならない。今が一番「楽しくなってしまっているとき」であると、彼は知っていたのだ。
 悪条件が重なりに重なって、末席の鍋は「それはそれで」楽しそうなことになっていた。それが鍋としての正しい楽しみ方であるとは到底思えないが……。

 

☆   ☆   ☆


 貴族鍋では、末席の狂乱などまるで別世界のように、粛々と締めの雑炊が始まっていた。
「それでは、一曲」
 そういってロビンはフルートを取り出した。軽く音を鳴らし、チューニング。それから大きく息を吸い込んで、音楽を奏で始める。明るい三拍子のリズムに、貴族鍋を囲んでいた者たちは、皆会話をやめ、彼の奏でるフルートに聞き入った。カオス鍋の一団はそのメロディーを聞きつけて、優雅に、かつ快活に、実に楽しそうな踊りを始める。ウィリアムはすでに解毒が始まっているのか、頭をふるりと振って正気を保とうとしている。ワルツの隙間を縫うように逃げ出したアウロラが熊すき鍋に合流して、野菜の数切れを掬い、口に放り込んで満面の笑みを浮かべる。ランタンの火が揺れる。ラトヴィッジはフレンとグラスをかちんとぶつけ合わせ、梅酒を傾ける。リエルの香草茶が曲の優雅さを盛り立てる。課題のヒントを聞くことが出来たロスティンは、さらりとベルティルデの肩に腕を回そうとして断られる。人々の間に笑顔が溢れて、手拍子が巻き起こる。誰かが彼のメロディーに合わせて鼻歌を歌う。おなかもこころも満たされて(一部にはそうでない人もいたようだが)、夜は更けていった。

 

☆   ☆   ☆


 あづまはテーブルを拭きながら、「ひどい目に遭った」と目の下を暗くさせた。
「お疲れ様。大丈夫だった?」
 メリッサがあづまを労う。
「大丈夫じゃないよ!」
 この食糧難の時期にありながら、とうとう完食されなかった庶民によるカオス鍋。複数の中毒患者を出しながら、しめやかに廃棄されることが決定した逸品である。
「スープだけでも飲んでみる? 舌が壊れるかと思ったよ」
 あづまは首をがくりとうなだれて、「本当にひどかった」とつぶやいた。
「そんなにすごかったのね」
 メリッサが笑うと、「本当に笑い事じゃないから」と、お叱りのことばが飛んだ。
「ま、いいけど。結果的には楽しかったし」
 あづまはそう言って肩をすくめた。
「それよりさ、終わったらまたヴォルクとの話聞かせてよ、今日もメチャクチャしてきたんでしょ?」
「ええ、ほどほどにね」
 メリッサが笑うと、場に穏やかな影が差した。

「今日はありがとう! スゲー楽しかったよ!」
「鍋パーティー楽しかった。誘ってくれてありがとう」
 ログハウスの玄関口で、コタロウとイリスが、リックとカヤナ・ケイリーに握手を求めていた。
「どういたしまして。お2人こそ、来てくださってありがとうございます」
 カヤナはその手をがっしりと握り、微笑んだ。
「皆さんのおかげで、パーティーは大成功です! ……まあ」
 カヤナはちらりとログハウスの奥で、片づけを手伝いながら貴族鍋の雑炊を食べて感激しているマーガレットを見た。幸い、食べたワライタケの量が少なかったおかげか、回復にかかる時間が相当短かったらしい。これで、彼女の鍋に対する間違った認識はなくなるだろう。そうであってほしい。
「成功です、かね?」
 とうとうカヤナ自身もカオス鍋を食べることはなかったが、あの鍋と比べたら、ほかのどんな食べ物もおいしく感じるだろう。イリスもカヤナの視線を追い、「そうですね」と笑った。
「また、こういうのが出来るといいですね」
 リックが笑うと、「ああ! その時はまた声をかけてよ!」とコタロウは大きな声で返した。

 


●後記

こんにちは、ライターの東谷です。
鍋といえば、わたしも昔闇鍋を実際に一度やったことがありました。
そのときは確か、納豆とパイナップルとブルーベリージャムが入っており、生乾きの洗濯物ような味がしたのを覚えています。
皆さんも、いのちだいじに、でお願いしますね。

 

お世話になっております、川岸です。今回はオープニングと監修を担当させていただきました。

美味しそうなお鍋! とても食べたくなりました。

そして闇鍋……闇鍋。リアクションでは何度か書いたことがありますが、実際にやったことはないわー。

こわいですね、おそろしいですね……。

 

次回のイベントシナリオは温泉です。

また次回からNPCへメッセージカードを送ることが出来るようになります。NPCとじっくり話がしたい方は、こちらをご利用ください。

詳しいご案内、及び第2回オープニングガイドは近日公開予定です。どうぞよろしくお願いいたします!