イベントシナリオ第6回リアクション

 

『夜は魔物の棲む世界 ~みんなで肝試し~』

 

 焚火が起きているところに、男の影がある。彼は率先して火を起こしていたようだ。カヤナ・ケイリーが向かった先にいたのは、クロイツ・シンだった。 

「お、来たか」
 彼はカヤナに手を差し出して、彼女の持ってきた大鍋を受け取る。
「ありがとう」
「気にすんな」
 彼女はクロイツに小さく頭を下げたが、「それよりも」と返された。
「スープはこれから?」
「ええ。かぼちゃの冷製スープを」
「ほう」
 見ると、カヤナの抱えているカバンから、ここしばらくお目にかかることの出来なかった大きなかぼちゃが顔を出している。
「今頃は夏でしょ? だから、ピッタリかと思って。暑くはないんだけどね、ここは」
「確かに、いいな」
 彼はあまり見せない笑顔をわずかにのぞかせて、1度だけこくりとうなずいた。
「それなら、カボチャの切れ端が出るか?」
「そうね……ヘタの部分と皮の固いところ、種なんかは捨てちゃうけど」
「種まで? もったいねえ」
 驚いたクロイツに、カヤナは「捨てるって言ったって、種は撒くんだけどね」と答えた。
「それなら種は、そのほうがいいか……」
 あごの下に手をやり、ううん、と小さくうなる。
「かぼちゃのヘタと固い皮部分か……あとは、ワタだな」
 クロイツは「流石にヘタは無理かな」とつぶやいて、自分で持ってきた小さなフライパン兼パンを焼くための平たい鉄鍋を見た。
「皮はマッシュでサラダに、ワタは高温でパリッとやれば食えるか」
「食べるの?」
 カヤナは目を丸くしている。
「食うに決まってるだろ、食材の無駄なんてありえねぇから」
 そう言って、クロイツは鉄鍋を火にかけ始めた。
「俺は先にサンドイッチ用にパンを炙っておく。その間、かぼちゃを切ってな。必要なことがあったら手伝うぞ。力仕事、洗い物、何でも」
「ありがとう」
 カヤナはまた小さくお辞儀をすると、クロイツの頬がまた少しだけ微笑みを浮かべた。

「この薬草が痒み止め」
 岩神あづまはテントの端で、リック・ソリアーノに説明をしている。
「これが虫刺され用の塗り薬です」
「色々あるんですね」
 リックは興味深そうにそれら1つ1つを手に取って見ている。
「暗い中を行くんですから、こういう準備くらいは最低限しておくに越したことはありません」
 彼女のカバンの中からは、そういった切り傷や虫刺されに効く薬、解毒剤、解熱剤に包帯、ガーゼなんかがどんどんと出てくる。
「こんなにいっぱい持ちきれないよ」
 リックが笑うと、「怪我したときは、おとなしく引き返してきなさいな」とあづまも笑って応えたが、すぐに彼女は真面目な顔になった。
「しかし、本当に何かがあった場合には、すぐに戻っておいでなさい。虫刺されくらいなら続けてもいいでしょうが、痒くなっても掻いたらいけませんよ。あとで痣になってしまいますから」
 ずいぶんと改まった顔でそう言われると、リックも身が引き締まるような思いがして、唾を飲み込んでコクリとうなずいた。
「それと」
 打って変わって、柔和な表情をうかべるあづま。彼女が手渡したのは、白く煙を吹き出す缶だった。
「……これは?」
「携帯用の虫よけです。あると、蚊に刺されにくくなりますよ」
「ふうん……」
 普段使ったことのない道具に顔を近づけ、そのあまりの煙たさにリックは咳き込んで、あづまの顔を見る。
「あづまさんは、怖くないの?」
「怖い?」
「夜の森って、何か『出そう』じゃないですか?」
「ああ、そういう……お化けや幽霊が?」
「そうそう」
 あづまは平然と答える。
「そんなの、ちっとも怖くないじゃないですか。一番怖いものは、生きている人間なんですから」
 彼女の笑顔に脅かされて、リックは「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。

  一方こちらは森の中。
「ご存知ですか、カスタル卿」
 マーガレット・ヘイルシャムはバート・カスタルの目をじっと見て言う。
「肝試しとは、遥か東方の若き騎士たちが、悪鬼羅刹の巣食う魔境に単身挑むことで、武勇を示す儀式がその発端となっているのです」
「へえ」
 バートはあたりをきょろきょろと見回し、最後にマーガレットと目を合わせた。
「この辺り発祥じゃないんだな」
「ええ。マテオ・テーペ回顧録にも、いずれこの記述を行うつもりです」
 彼女は着慣れない甲冑をガシャガシャ言わせている。
「ところでカスタル卿」
「ん?」
「この装備、あまりに重たいのですが」
「それでも、警備できるような装備としては1番軽い部類のものなんだけどなあ」
 困った、と苦笑いを浮かべるバートに、彼女は「そうでしたか」と同じような笑みで返した。
「カスタル卿……いえ、カスタル隊長」
 改まり、マーガレットは敬礼をする。
「いつも通り、普段通りの警備をお願いいたします」
「そのつもりだけど……」
 彼の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「どうして、そんなことを?」
「ああ、いえ」
 本当のことは言えない。
「多くの参加者の安全を担う役割ですから。私も、カスタル隊長のお仕事の邪魔にならないよう、気を付けます」
 薔薇騎士物語の登場人物、若き騎士のモデルを間近で観察するための取材だなんて、とても。
「念を押してくれたわけか」
 バートはうなずき、「それなら心配ご無用」と続けた。
「それでは、行こうか!」
 彼はそういうと、大股で歩き始めた。
「あっ、ちょ、ちょっとカスタル隊長?」
 体力に自信のない彼女は、どうしても小走りになる。だが、重たい装備が邪魔をして、一向に体が先に進まない。
「カスタル卿、これ、どうやって脱げば……!」
 彼女の秘密の取材は、始まったばかりである。

「……ったく」
 森の中の別の場所。リベル・オウスは怪しげな2人の影を見つけて、草陰でぼやいた。
 作戦開始。
 リベルはカバンの中に、松明と消毒用アルコール入りの瓶、ロープ、それに傷薬の入った小さな缶を確認する。全部彼が用意して持ってきたものだ。その中から松明を掴み上げると、先端に意識を集中させ、火をつけた。
「ふぅ」
 わざと聞こえるように大きな声でそう言うと、ザックを背負って人影のほうへと近づいていく。
「……!」
 向こうから、何かをつぶやいた声が聞こえる。……ただの戦闘狂でなければいいのだが。リベルはその声に気づかないフリをして、道中を、その影に背を向けて歩き始めた。ガサガサと音がする。明らかに、リベルの後ろを追跡する足音が聞こえる。
「おい!」
 野太い声に呼ばれて、リベルは振り返った。……出た。身長も肩幅も、リベルよりずっと大きい2人組の男。
「有り金、全部出せ」
 鼻に詰まったような声。
「あ、ああ」
 リベルはわざと怯えた演技をして、ザックを下ろして中を漁る……と見せかけて、男たちの足元にアルコール瓶を投擲。
「!?」
 彼らが声もなく驚いているところに松明を投げつけると、ごうごうと大きな音を立てて燃え始めた。
「はい、いっちょ上がり!」
 体格面で優位があっても、平常心を失っていては勝ち目がない。夜盗2人の顔面に拳を叩き込んだリベルは、伸びている彼らをロープで捕縛した。
「あとは、警備隊が来るのを待つか」
 捕まった男たちの耳元で、彼は囁く。
「抵抗してもいいぞ。ただ、ちょうど、新薬の被検体が欲しかったところなんだ。もし『不慮の事故で』死んでも、全部燃やして無かったことにするから、安心して暴れてくれ」
 もちろん嘘ではあるが、夜盗を黙らせるのには充分すぎる威力がある言葉だった。

 

* * *


 リベルが夜盗に人生最大の「ドッキリ体験」を味わわせているころ、いよいよ本陣が出発の運びとなっていた。

「昔、工場仕事の同僚で妙なことを言い出した奴がいましてね。なんでも、足音が聞こえる、って言うんですよ。でも、その場にいた他の誰も、そんなものは聞こえない。『疲れてるんだろう』って言ったんですが、彼は『そんなはずない、こんなにしっかりと聞こえてるのに』って言って聞かないんです」
 コタロウ・サンフィールドのことばに、ジスレーヌ・ソリアーノが、息を呑む。彼はどこかで聞いたことのあるような、おどろおどろしい語り口調で続けた。
「それから次の日も、その次の日も、『やっぱり足音が聞こえる』って言うんですよ。それも、『だんだん近づいてきてる』って。それで、あの日はちょうどこんな夜でした」
 コタロウが、それまでの微笑みを消して、真面目な顔になる。
「一昨日から、『モウスグ追イツク』っていう声も聞こえる、なんて言い出したんですよ。ゆっくり寝れば幻聴も治まるだろうなんて思ってたんですがね……突然」
 コタロウはジスレーヌの顔をじっと見た。
「助けて! 助けて! 来てる! アイツが来てる!」
「ひぃっ……!!」
「……って、叫び出したんです。……そのとき、見えちゃったんですよ。彼の肩をしっかりと掴んだ、真っ黒な、誰かの影を。……彼、そのまま部屋を飛び出して行っちゃって、それっきり、帰ってきてないんです」
 ジスレーヌは緊張で高鳴った鼓動を抑えるように、手を胸に当てて、口で呼吸している。
「貴女も、足音が聞こえたら気を付けてくださいね。『アイツ』が来てるかもしれませんから」
 コタロウはまた笑みを浮かべて、「あ、そうだ……急用を思い出しました、ごめんなさい、ちょっと戻りますね」と告げた。
 ……もちろん、ここまでの彼の話は、すべて作り話である。

 ピア・グレイアムが選んだのは、驚かせる側の役。ベーカリー・サニーで働いているときの服装に近いが、色合いは白から黒を基調としたものに変わっている。鏡を見て絵の具で描いた「ただれた顔」は、暗闇なら充分な威力を発揮しそうな出来栄えである。
「あっ」
 脅かすべき参加者よりも先に、彼女はバートと、その後ろから体のすべてを引きずるように動いているマーガレットと遭遇した。ピアはとっさに、顔の半分を隠す。バートは一瞬警戒して剣に手をかけたが、すぐに彼女だと分かったのか、手を置き「こんばんは」と微笑みかけた。
「お疲れ様です」
 ピアはバートに向けて、そしてその後ろを汗だく……どちらかというと顔面蒼白になっているマーガレットに向けて言った。
「脅かす役?」
 ピアの服装を見て、バートは聞く。
「はい。お2人は警備を?」
「ああ。協力してもらっている」
「私は、何もできていませんが……」
 ぜえぜえと息を切らせて、マーガレットは肩で息をしている。
「……あ、参加者が来たみたいだぞ」
 バートの声に、彼女はやぶに身を隠した。
 確かに、遠くから歩いてくるような音が聞こえる。……だが、合わせて血のような錆びた匂いもある。怪我でもしているのだろうか……そんな風には見えないが。
「……あの」
 ピアは草むらから飛び出して、その影に寄り添う。
「私、道に迷ってしまいまして」
「え? って、うわああ!」
 振り返った女性はピアのメイクを見て驚いたようだったが、ピアも「あああ」と小さくうめいていた。振り返ったのは顔面血まみれの女……服も、よく見たら血だらけで……!
「あ、そっか、私もメイクしてるんだった」
 あっけらかんとそう言ったのは、アウロラ・メルクリアスだった。
「お、脅かさないでくださいよ……」
「自分から脅かされに来たんじゃん」
 血だらけのアウロラがほのぼのピアに笑いかける。
「本当の参加者が来るのはこれから。ちょっと藪に隠れていようよ」
「そうしましょうか」
 ピアが振り返ると、バートとマーガレットはほかのところの警備へと動いたのか、すでにいなくなっていた。
「夜にハイキングなんて」
 厚く着込んだイリス・リーネルトが、震える声でリックにそう言った。
「お月様が出てるから真っ暗じゃないけど、夜に森の中を歩くのはちょっと怖いかも……。変な人とか出ないといいな……」
「森の中を警備してくれている人もいるから、きっと大丈夫だよ」
 声が震えているのは、リックも同じ。だが、彼らの後ろを「恐怖」という感情を失ったような凛々しい男が付いている。
「あー、確かに怖いな」
 ラトヴィッジ・オールウィンのそう言ったことばには、「まだ何も見ていないから」だけでは処理しきれない軽さがある。彼は参加者を盛り上げるために「ひと際驚く大人役」。つまり参加者でありながら、仕込み役、仕掛人という立ち位置なのである。
「あのー……」
 この3人の一行に後ろから声をかけたのは、先ほど草むらの中に身を隠したピア・グレイアムだ。
「はい?」
 イリスが振り返り、「どなたですか?」と奥歯を鳴らす。
「友達とはぐれてしまいまして……一緒に、行ってくれませんか? 1人じゃ怖くて……」
「あ、そ、そういうことなら……」
 イリスはほっとしたように、肩を下した。その瞬間を、ピアは見逃さない。顔の左半分を覆っていたカーディガンを払い、上目遣いでニィッと笑う。
「ありがとう、これで寂しくない」
「あああああああ!!」
 先に大きな声をあげたのはリック。イリスの小さな悲鳴は彼の大声にかき消されてしまった。
「お、おい」
 慌てたようにラトヴィッジが、逃げ道を指す。……そこには、両足のない女が、匍匐前進するようにこちらへと近づいてきているのが見えた。
「ちょうだい……ちょうだい……」
 ピアはその正体がアウロラであることを既に知っているから平然としていられるが、この光景、端から見ても相当怖い。それだけ普段の彼女が、義足であっても不自由そうに見えない動きをしている、ということなのかもしれないが。
 3人の目の前まで体を引きずるようにしてやってきたアウロラは、リックの足にしがみつくようにして、顔を上げた。
「あなたの足を、ちょうだい」
「……!!」
 表情を失ったリックは、うっすらと目に涙を浮かべて「だめです、あげられないです」と、小さな声で丁寧に断りの弁を述べている。
「にっ、逃げるぞっ!!」
 ラトヴィッジの迫真の演技が光る……いや、演技なのか? 彼自身の鼓動も相当早くなっている。イリスとラトヴィッジに引っ張られるようにして、リックはその場から逃げ出した。もちろんアウロラも脅かすことがメインなので、本気で彼の足を掴んでいるわけではない。
「成功、かな?」
 2人はお互いの恰好を改めて確認して、ぎょっとし、それからにこっと微笑んだ。
 その先で待ち構えていたのは、トモシ・ファーロ。彼も、ほかの仕込みの人間を使って、一度練習済である。
「けどさぁ」
 暗闇に彼のむくれる声が聞こえる。
「いくら驚いたからって、『焼き尽くす』って発想にはならないよな」
 彼が脅かしたのは、さらに奥のほうで罠を張っている、レイザ・インダー。彼を驚かせたら、大声を上げて手から炎を放とうとした。
「幽霊に攻撃は効かないって……いや、人間だから効くんだけど……」
 意外と、レイザも気が小さいのかも……トモシはそんなことを考えながら、やぶに身を潜めていた。
 やがて、息を切らせた先ほどの一行、イリス、リック、ラトヴィッジの3人が現れる。都合のいいことに、トモシの目の前あたりで、その動きは走りから歩きに変化した。
「はぁっ……はぁっ……」
「わたしっ……こんなに走ったの、しばらくぶり……はぁっ……」
「もっと体を鍛えよう」
 1人だけ大人で歩幅も肺活量も段違いだというのはあるが、それにしても子ども2人との体力の消耗差がある。ラトヴィッジは2人の背中を優しくさすりながら、「大丈夫か」と声をかけている。
 チャンス。
 ぽたん、ぽたん、と、夜の森には不似合いな、異様な水音がする。
「……何か、聞こえない?」
 膝に手を当て肩で息をするリックが、意識を音に集中する。
 ぽたん、ぽたん……。
「……確かに、水みたいな音が……」
 それまで呼吸するのが精いっぱいだったはずのイリスも、急にまじめな顔になり、リックの顔を見た。
「……ぁーめーしぃー……」
「なに?」
 音のする方を振り返ると、この暗がりの中にあって、はっきりとそれと分かる白い衣装。長い髪の毛がぐっちょりと濡れて、顔が分からない。声は男のようでもあるが、絶叫し続けて潰れてしまった女の声のようでもある。
「うーらーめーしーやー」
「!?」
 トモシは、彼らの表情が目視確認できたと同時に、全速力で彼らに向かって駆け出した。
「きゃっ……!」
 イリスの甲高い声。リックはそれにも驚いて、思わずイリスの腕に抱き着いてしまった。
「あっ……」
 2人の顔が瞬間的に赤くなる。
「うらめしやあああ!!」
 が、事態はそれどころではない。幽霊(トモシ)がそこまで来ている。ラトヴィッジが2人の手を引いてさらに道の奥へと駆けていく。逃げれば逃げるほどついていくトモシ。すでに体力を消耗しているイリスとリックの足はふらふらだ。
「来ないでっ……!」
 イリスは水魔法で、トモシの顔目がけて水を放つ。
「うわっぷっ……!?」
 脅かすはずが、逆に驚かされて、トモシは足を止めた。ひるんだ隙に、3人は森の道をさらにひた走っていく。
「あー……」
 さらにずぶ濡れになったトモシが、「水でよかった」と笑った。

 森の巡回者にも動きがあった。ヴァネッサ・バーネットも山の見回りを引き受けた1人だった。肝心の夜盗などは、これと言って現れている様子もない。慣れない山歩きではあるが、自分1人のレクリエーションも兼ねて、彼女は巡回を行っていた。……だが。
「あったたたた……」
 油断しているつもりはなかったが、木の枝に髪を束ねたゴムを持っていかれ、いつものポニーテールがばっさりとした長髪に。白衣の裾には土がつき、そこに夜露が合わさって泥になって、薄汚れてしまっている。
 ランタンの火も、足を取られて転びかけた時に草露に濡れて消えてしまった。
「仕方ない」
 このまま森を巡回し続けるのは危険と判断したヴァネッサは、大きな林道を目指して歩いていく。そこは参加者たちの移動ルート。林道にまで出れば、誰か参加者と遭遇することができるだろう。彼らは灯りを持っているだろうし、こうなってしまった以上、1人で森の中をうごめくよりはずっと安全だ。
 林道には、トモシから逃げ切った3人がいた。灯りに寄せられるように、ヴァネッサは森の中から彼らに近付いていく。
「おーい」
 声をかけると、彼らはあたりをキョロキョロと見回している。
「ここだ、ここ。なあ、ちょっと手を貸してくれないか?」
 林道に向かう少し急坂の斜面を、足を滑らせないようにゆっくり降りていく。
「いるんだろ、そこに」
 ヴァネッサの姿に気が付いたらしく、3人が彼女を照らしている。
「おーい」
 もう一度声を掛けると、「あああ!!」とラトヴィッジが大きな声を上げた。
「え? ちょっと?」
 手を伸ばした彼女から逃げるように、後ずさりする。もう一歩追いかけると、二歩下がる。そうして、とうとう3人はヴァネッサを置いて、思い切り逃げ出した。
「……なんで、あたしから逃げていくんだろうね? 何か悪いことでもしたかな」
 彼女は首をかしげて、目にかかった前髪を払った。

 

* * *


 トゥーニャ・ルムナと、プティ・シナバーローズは、彼らの先に待機していた。
「よく分からないけど、要するに山を歩いてくる人たちを驚かせればいいんだよね?」
「そうだな」
 この強力な風魔法の2人組は、驚かされる側にしてみれば「厄介」とまで言える組み合わせだ。
「ぼく、こんなの持ってきてみたけど、使えるかな?」
 トゥーニャが取り出したのは、瓶に入った水と、その中にぎっしり詰まった緑の物体。
「これは?」
「水草。中でも、ちょっとねばーっとしたものを選んできたんだ。ほら」
 彼女が瓶から草を一本取りだすと、やや腐敗した水のような生臭さがあたりに充満した。草は、その先端からとろんと糸を引いている。
「うわ、気持ち悪」
 プティはそう言って笑う。
「使えそうだな、それ。俺が風を起こして、それの臭いを漂わせれば、気味悪さ倍増」
「いいねえ」
 トゥーニャも、いつになく悪い顔をしている。
「ぼくはこの水草、最後は首筋に『ぴとっ』ってしようと思ってたんだけど」
「それもいいな」
 突き抜けるような笑いを見せないプティだが、そこにはどこかいたずら好きの子どものような明るさがある。
「誰かが来たら、風で木の葉を揺らして音を立てる。それから、風を吹かせて背筋をゾクっとさせて」
 彼は、指を折ってそれらの数を数えていく。
「そして、アレ。アレで一網打尽だな」
「攻撃するわけじゃないからね」
 トゥーニャはわずかに攻撃的な彼の発言を諫めて、それでもどこかわくわくしたように微笑んでいる。2人の視線の先には、古びた小屋があった。

 その小屋の中。
 すでにトゥーニャ、プティと話をつけているアリス・ディーダムとレイザ・インダーが、小屋の裏口付近に待機している。
「レイザ先生、一緒に頑張りましょうね」
「ああ」
 レイザはしかし、どこか不服そうだ。
「入ってきた奴を小屋ごと丸焼き、なんてのはやっぱりダメなんだろうか」
「ダメですよ」
 アリスが微笑む。
「肝試しで本物の幽霊を作っちゃったら、本末転倒じゃないですか」
「まあ、それもそうか」
 裏口を開けていると、遠くから「わー」だの「きゃー」だの、誰かしらの絶叫が聞こえてくる。
「先生は、どんな脅かし方をするんです?」
「俺か? 基本はこれ」
 彼は手の上に火を小さく浮かべ、「火の玉」と言った。
「わあ、すごいです……先生、何もないところにそんなの作れちゃうんですね」
「魔法は得意だからな」
 こともなげにそう言って、彼は火の玉をしまう。
「さ、また誰か来たみたいだぞ。準備しよう」
「はいっ!」
 お化け役とは思えない明るい返事で、彼女は小屋の中へとスタンバイ。
「この声は……メリッサと……それにヴォルクか?」
 ニヤリ、とレイザが笑う。
「ちゃんと驚けよ……」

 

* * *


 レイザの想像したのとは違い、実は、メリッサ・ガードナーヴォルク・ガムザトハノフの2人は、イリス、リック、ラトヴィッジのさらに後ろ。それでも、絶叫が聞こえてくるのである。
 2人は寄り添うようにして、互いが互いを励ましあっている。すでに相当やられている様子の2人だが、仕込み役が何もしていないところでも、ダメージを負っている。何もない木の影におびえて小さな土砂崩れを起こさせたり、野良猫が飛び出して来たのに驚いて風魔法で森の奥へと押しやってしまったり。幸いにして怪我人(怪我猫)は出ていないが、恐怖のせいでコントロール自体がうまくできていないようである。
「ヴォルクくんハイキングだよね……? 肝試しって言っても、ただ歩くだけ……」
「そ、そう……そうだよ……」
 当初、ヴォルクはメリッサに『肝試し』であるということを伝えていなかった。ほんのいたずらのつもりで、「当日ネタばらしして、キャッキャと笑いあう」みたいなことを考えていた。……だが、現実は非情。事実を知ったメリッサは、笑うどころか顔を凍り付かせてヴォルクの顔を見ていた。……メリッサがオカルトを苦手であることはヴォルクも知ってはいたものの、そこまでだとは思っていなかったのだ。
 一方のヴォルクはというと、最初こそ余裕があり、メリッサが驚くようにと色々小さくいたずらをしていたのだが……ピア、アウロラ、トモシが彼らを驚かせたその先の道に入ってから、実は、ヴォルク自身が出したわけではない異様な風を感じている。
「なんか、生臭くない……?」
「気のせい……気のせいだと思う……」
 いつもの元気はどこへやら。ヴォルク自身もすっかり小さくなり、こめかみに冷や汗をかいている。ざわざわと、木が揺れる。
「っ……ヴォルクくん、いたずらは」
「おっ、俺じゃないっ……」
「……」
 2人は顔を見合わせる。
「あ、あはは、あははは……」
 メリッサが引きつった笑いを浮かべ、「ヴォルクくん」と呼びかけた。
「なんだ?」
「絶っっっっっ対、離れないでね!」
 がっちりとヴォルクの頭をホールドし、自分の胸にうずめさせている。むにぃっ、とめり込んだヴォルクが、慌てて何かを彼女に伝える。
「ちょっ、メ、メリッサ! おっぱいっ……それに、首に何か当たっているぞ! 何か、ひんやりと……」
 ヴォルクはそこまで言って、自分が発言した内容が「普通じゃない」ことに気が付いた。
「ひんやり?」
 びゅう、と強い風が吹いて、小石が舞った。
「ちょ、ヴォルクくんっ! いたずらはやめてってば!」
「だから俺じゃ……!」
 そう、これはヴォルクの魔法ではなく、プティとトゥーニャが互いにちょっとずつ風魔法を使っているのだ。ざわざわと、一層強く風が吹く。
 ……がたん、と人工物のような音がした。
「……あんなところに、小屋が……」
「ひとまず、何もない道よりは安全……だと思う」
 メリッサは自信を失った震える声で言うと、ヴォルクもがくがくと首を縦に振って、まっすぐ小屋へと飛び込んだ。

「これで一安し」
 バタン!
 大きな音で、扉が閉まる。一安心だね、と言いかけたメリッサは、もうそれ以上言葉を発せなかった。
「……閉めたのか?」
 ヴォルクの持っていたランタンが、ふっと風で消える。
「なっ!? なんで消したの?」
「消してない! それより扉を!」
「開かない! 何! どうなってんの!?」
 メリッサが大声で叫ぶが、一向に様子が分からない。
「暗いか?」
 低い声が響く。
「だっ、誰っ……?」
「明るくしてやる」
 声の主、レイザが、ぽん、と光を灯す。……火の玉で。
「んひぃぃ!! 火の玉ぁぁぁ!?」
 飛び上がる2人の目の前に現れたのは、真っ白な着流しに、顔を赤くペイントしたアリス。完璧なメイクが怪しげな火に照らし出されて、恐ろしいコントラストを描き出している。
「うらめしやぁ」
「ああああああああ!!!!!」
 絶叫し、抱き合うメリッサとヴォルク。力の制御など、もはや不能だった。
「助けてぇぇぇぇ!!!」
 メリッサが絶叫すると、小屋の外で地鳴りが起こる。
「メリッサぁぁ! あああ!!」
 恐怖に震えながらも、姉を守らねばと奮闘するヴォルク……風で小屋の壁を突き破り、ボロ小屋を、ただの骨組みに変えてしまった。
 外で見ていると、これはこれで恐ろしい事態だ。何せ、自分たちが入るように誘導した小屋が大爆発し、どこからともなく地面が崩れるような轟音が響くのだから。「ひぎゃっ!」と情けない声を上げたのはプティだけだったが、トゥーニャも充分に驚いて、目を丸くしている。プティは小さく咳ばらいをし、「様子を見に行こう」と慌てて取り繕った。
「あああ! 怖いよぉぉ!」
「うわああ!! メリッサぁぁ!!」
 少し遠くから眺めると、爆心地にはメリッサとヴォルクが、仲良く抱き合って涙を流しているのが分かった「あー」とプティ、トゥーニャは互いに顔を見合わせ、『この2人が魔法を使って暴走したなら、確かに分かるけど』という表情を浮かべる。

「あっ、レイザくんっ……!」
 抱き合ったままのメリッサは、火の玉の主犯であるレイザを見つけて助けを乞う。
「こ、腰抜けちゃったの……おぶって行ってぇ……」
「ちっ、見つかったかっ……」
 レイザは最後まで闇に隠れておくつもりだったが、小屋ごと吹き飛ばされたのでは身の置き場がない。
「レイザくん、お願い、置いてかないでぇ……」
 本当に腰が抜けてしまったメリッサが手を伸ばすと、レイザはため息交じりに「仕方ない」と言って、手を差し伸べた。
「掴まれ」
「あっ、ありがとう……」
 ヴォルクもろとも起こされて、メリッサは微笑みかけた。
「このまま、ゴールまで……」
「それは出来ない、悪いが」
 レイザはまだこれから来るだろう参加者を驚かせなくてはいけない。「レイザくん」という彼女の声に心がわずかに痛んだが、それを振り切るように、『元』小屋だった建築物の奥にある森の中へと姿を消した。
 アリスは、何とか小屋爆散の衝撃の直撃は避けたが、耳が「きぃん」として、目を回している。フラフラと、かつ2人から見つからないように、レイザの後を追って森の中へと身を隠した。

「ん、なんだ、地震か?」
 そのころ、メリッサとヴォルクのかなり前の方を歩いていたラトヴィッジ。一緒にいるリックとイリスは驚き疲れてフラフラだ。ラトヴィッジもここまできっちりと驚かされるとは思っていなかっただけに、内心ではそれなりにビビっている部分がある。それに加えて、今の地鳴りである。
 振り返ると、切り開かれた道の片側が崩れて、道をふさいでいる。
「……退路を、断たれた?」
 彼がそう考えた瞬間、土砂の中から、ぽこぽこと何かが姿を現した。
「え、あ、え」
 戸惑っている暇はない。
「はっ、走れぇっ!」
 ゾンビだ! これまで伝承でしか聞いたことのなかったゾンビ。仕込みには違いないが、あんなの恐ろしすぎる!
「な、なに?」
「振り返るな! とりあえず走ってゴールだ!」
 2人を抱えるように走り出したその姿を見て、好奇心に勝てないリックが振り返る。そして、当然悲鳴を上げる。
「何あれ!」
「知るか! 走るぞ!」

 

* * *


 ラトヴィッジはゴール地点の仮設テントで倒れこみ、スープとサンドイッチで体を癒す。イリスとリックは疲れて眠ってしまっているようだった。
「ごちそうさま、おいしかった」
 落ち着いた彼は、サンドイッチを飲みこんでそう言うと、「しかし」と続けた。
「ゾンビなんて、あんな凝った仕込みやったの、一体誰なんだ? 数も相当だったし……まさか、この企画の仕込みに騎士団や自衛団が協力してるのか?」
 スープの鍋をかき混ぜていたカヤナが、「ゾンビ?」と聞いた。
「ゾンビ役を置いてるなんて、聞いてないけど」
「え?」
 それじゃあ、ラトヴィッジが見たものは? カヤナが、あはは、と軽く笑った。

「怖い話をしてたら幽霊が来る、って言いますしね」

 



こんにちは、ライターの東谷です。
幽霊の話をしていると「来る」って言いますもんね。
まあでも、そんなものいませんよ。気のせいです、気のせい。
ああ、でも、念のため今は振り返えったり、窓の外を見たりしないほうがいいと思いますよ。

さて、第7回イベントシナリオですが、先月行われた借り物競争コメディ部門優勝者のリュネ・モルPLの考案した企画になります!
お色気満載、事故必須!? 「ミス マテオ・テーペコンテスト」の開催決定です!
こちらの詳細は追ってご報告いたします。
第7回イベントシナリオもお待ちいたしております。

ありがとうございました!