『思い出エピソード』

鈴鹿高丸

願いと想い


「いや、俺は願いを託すとか、それを書くとか別にいいんだが……」
 レイザ・インダーは苦笑しながら隣に立つ男にそう話した。
「そんな大層なもんじゃないし、名前を書かなきゃ誰もお前のものだなんて気づかないさ、まあ、もちろん強制はしないがな」
 隣の男――バート・カスタルはからかうような言葉を返しながら、自分の願いを短冊に書いてさっさと吊るしてしまう。そして、まだ乗り気でない様子のレイザに短冊を押しつけた。
「このくらい、いいんじゃないか? 縁起担ぎだと思えば」
 バートがさらに言い重ねると、レイザは無言で短冊とペンを奪うように受け取り、少し考えた後何かを書いて手近な枝に結んだ。
「良いじゃないか」
 短冊を覗き込んだバートに、レイザは「もう帰るぞ」と言ってその場を立ち去るのだった。

 数日後。
 レイザは何となく例の竹藪の様子を見に来ていた。
 近づいていくと、辺りが騒がしいのに気づく。随分と盛り上がっているようだった。
 そして、その中に見知った顔を見つける。歩みが止まる。
 メリッサ・ガードナー
 彼女はあまり見慣れない、異国風の格好をして何かしら談笑していた。
 その姿に、一瞬、引き込まれるような感覚を覚えて足が止まったのだった。
 それに彼女たちがいたのは自分が短冊を下げた辺りだ。
 彼女は自分の短冊に気づいただろうか。
 まず、気づかないだろうが……もし気づいたとしたら。
 何を感じるだろうか。
 そう考えてしまっている時点で、もう手遅れなのかもしれない。
 そんなことを思いながら、レイザはそっとその場を立ち去った。

 

*  *  *


 そんなことがあった日の夜遅く。
 ヴァネッサ・バーネットはいつもの白衣に着替え、真砂から自宅への帰途についていた。
 最近になって人工月が上がるようになったが、マテオ・テーペの夜の闇は深い。それでも慣れた道なので特に不安はないが。
 そうして歩きながら妙に騒がしくもあった今日の出来事を振り返り、思わず微笑みが漏れ出る。
 ――自分が白衣以外を着ることになるだなんて、思いもしなかった。
 だがそれは、決して悪い気分というわけではない。
 着慣れたを通り越して自分の一部でもあるかのような白衣の裾を触りながら、美しい浴衣の柄を思い出す。
 彼女らがいなければこんな出来事など起き得なかっただろう。
 すべては、友の薦めがあったからこそ。
 渋る自分に浴衣姿を望んでくれたメリッサやあづま。そして、笑いあってくれたピア。
 各地を忙しく巡る旅医者生活では、こうした友人関係に恵まれる事はなかった。
 だからこそ眼前の「生」を尊ぶ信念も強まる。
 そんなことを思う。
 ヴァネッサは自分の短冊に書いた言葉を一人繰り返しながら、歩き続けた。
「みなが健やかでありますように……ってね」
 短冊の願いを独りごち――緩やかに帰路を歩んでいく。
 今日の夜の闇は、いつもより薄く、柔らかく、温かく感じた。

 

 

それぞれの新生活


 マテオ・テーペを後にした箱船の中。
 道程はまだ長く先は見えないが、船内の者たちはそれぞれに新しい生活に慣れ始めていた。
 これは、そんな生活の中での小さなお話。

 

*  *  *


 マティアス・ リングホルムの箱船内での立ち位置は、すっかりルース・ツィーグラー、ベルティルデ・バイエルのお付きといったところになっていた。もちろん箱船の人員は限られているので日々様々な雑務もしているのだが、行動の基本は彼女らとともにある。警護も仕事の一つとも言える。
 そんな日々にも慣れてきたある日。それは、一緒に食事を摂ったその後のことだった。
「ベルとルースの服って、お互いのを交換してたりすんの?」
 何となく口にしたマティアスのその言葉は、瞬間、無言の間を作る。
「それがあなたに何の関係があるのよ」
 その無言の間を破ったのはルースの、冷たい氷のような言葉だった。
「え? ――したことありますよ。それが何か?」「ちょ、何さらっと……!」
 続けてのんびりとした口調で応えたのはベルティルデだ。さらにルースの慌てた言葉も続く。
「もともとの服、一度みてみたいかなーと」
 ルースの怒りっぷりを放置するかのようにマティアスは二人に、いや、敢えてベルに話しかけた。
 何考えてんのよ!と顔を真っ赤にするルースを見てか見ずしてか。
 ベルは気軽にそしてにこやかに「いいですよ」と返してきた。
「な、なに言ってんの!」
 ルースの声はさらに高く響き渡る。
 顔の赤さは既に見たこともないレベルになっているのだが、それは、怒りだけだっただろうか。
 その数時間後。
 姫様権限を発動したベルに促されて現れたメイド姿のルースの顔は、さらに先ほどを上回るほど真っ赤なものとなっていた。
 何事も言ってみるものだなあと、マティアスはその光景を目に焼き付けながら思うのだった。

 

*  *  *


 一方箱船内の別の場所では、シャオ・ジーランが休憩をしていた。
 彼は持ち前の人懐こさを全力で発揮し、様々なところに顔を出している。その中でも皆に料理を振る舞ったり、大道芸を見せて和ませたりといったところはもう日課のようになっていた。
 そうして過ごしていると、日々はあっという間に過ぎていく。
 だけれどこうして休憩中になると、これまでの事が思い出されてくるのだった。
 今までろくな人生を送ってこなかった。
 そして今も放浪癖――どこかに行きたいという気持ちは少なからずあるが。
 ――そろそろ腰を落ち着けるのもいいのかもしれない。
「確かに。お前もいい歳だろ? 面白いし、料理もできるし愛想もいいし、探せば嫁も見つかるんじゃないのか?」
 思わず口に出ていたのだろうか。周りの、既に見知った顔の一人がそう声を掛けてきた。
「アイヤー……色恋はさっぱりで……」
 そう返して、飲み物を口にする。何言ってるんだ、誰か紹介しようか、とも声が掛かるが、苦笑するしかシャオには方法が無い。それくらい色恋沙汰には実感が湧かない。
 ただ、そんな自分でも浮かれ調子だったカヤナさんのようになれるのだろうか。
 そんなことも思う。
 しかし今はそんな想像よりも。
 まずは新天地で何があるか、それを期待しようとも思う。
 そんなシャオだった。

 



 最後までありがとうございました。鈴鹿高丸です。今回初めて書かせていただいた方もいますが、楽しんでいただけたら幸いです。マテオ・テーペは終わりますが、まだどこかでお会いできますように。

 

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