七夕特別シナリオ リアクション

 

『空に願いを』

 

 造船所近くにある一見なんの変哲もない小さな竹藪は、いまやマテオ・テーペ内でもかなり有名な場所となっていた。
 竹には数多くの短冊が吊るされており、それぞれ、様々な願い事が書かれている。
 そこには今日も多くの人が訪れ、思い思いに短冊を吊るしたり、そこに書かれた事を見てまわったりしていた。

 そうして人が集まれば新たな出会いや様々な出来事が起きてくる。これは、そこで起きる些細なお話。

 

*  *  *


 基礎は、やはりランニングしかない。
 そう思いながら、ヴォルク・ガムザトハノフはいつもの黒いジャケットを着たまま疾走していた。
 走る動きに合わせて、燃え盛る鳳凰の刺繍が翻る。ランニングだからといって、それ用の服に着替えるなどということはしない。それがプライドというものだからだ。
 自宅から造船所までの毎日のランニング。それは、魔王になるための第一歩、無限の体力を手に入れるためのものだった。本当は帰りは飛んで帰りたいのだが、今の彼の能力ではそこまでの力はないため、帰りも全力疾走だ。
 ただ、今日はいつもとは少し違うコースを通っている。
 造船所からの帰りに遠回りして訪れたのは、噂の竹藪だった。当然、その中でも最も大きい竹の前に立ち、短冊を取り出す。
 願い事は『25~30歳位までには、魔王になるための準備が完了してますように』だ。
 基本的には宿願は自分の手で掴むものだが、願いを短冊に書き、決意を目に見える形にすることは意味があるに違いない、とヴォルクは考えていた。
 そして短冊を吊るし終えると、また全力で走りだす。
 魔王への道はまだまだ果てしなく長い。千里の道も一歩から、だ。

「ん……こいつは……魔王になるための準備っ!? 字もどっちかっていうと野郎のだな、目が汚れるわ。次々っ」
 先ほど吊るされたばかりのヴォルクの短冊を見て一人そう話すのは、ロスティン・マイカンだ。しかし、そんな彼が吊るした短冊は『楽して生活できるように。美人のねーちゃんと楽しく過ごせるように。勉強とか苦労したくないのでよろしく!』である。
 どっちもどっちという言葉が相応しいような気もする。
「これは……! ベルティルデさんの短冊! んー心なしか、上品な香水の香りがするような」
 ロスティンは次に『明るい未来が訪れますように』と書いてあるベルティルデの名が入った短冊を見つけると、周囲もはばからず結構な声でそう叫んだ。
 周りの人々が若干引いているのには気づいていないようだが、本人が幸せなら問題はない……のかもしれなかった。

 

*  *  *


 そんな出来事とは多少前後して。
 マーガレット・ヘイルシャムは領主の館のある敷地内の外れの建物を訪れていた。そこは、重犯罪者と魔力の高い犯罪者が収容されていた館だ。
 今回彼女がこの館を訪れたのは、ある人物に面会することが目的だった。
 その人物とは、ウィリアムである。
 少し前に収監された彼が現在そこにいるのは、自首を勧めた自分のせいでもあるとマーガレットは考えていた。
 なので、収監後は何度かこうして面会に訪れている。脱走事件以来警戒が厳しくなっている館ではあったが、事情が事情でもあるので、マーガレットの面会は許されていた。
 面会用の部屋に通されると、そこにはウィリアムが立っていた。これまでの経緯を鑑みてか、手かせなどはされていない。
「短冊、書いておいたぞ」
 ぶっきらぼうな口調でウィリアムが声を掛けてくる。そう、前回マーガレットは最近の街の様子として、七夕のことを話題に出したのだった。そして話の流れで二人も短冊を吊るしてみようということになっていた。
 ただ、もちろんウィリアムが出歩くことはできないので、次に来た際にマーガレットが短冊を受け取り、代わりに吊るす予定である。
「分かりました。預かります……と、その前に、これを食べませんか? 差し入れの許可も得ていますから、良かったらどうぞ。七夕の風習がある遥か東の地域で食べられている、柏餅というものです。文献を見ながら作ってみました」
 彼女はそう言うと、部屋の中にある小さなテーブルに包みを広げた。中から現れたのは、葉に包まれた餅のようだった。それが柏餅というものらしい。
「トカゲ嫌いで舌が狂ってるアンタが……作ったのか? まぁ食うけどさぁ……んー、食えなくはないぞ。変な味だが、砂糖が効いてて美味い」
 ウィリアムのそんな感想を聞きながら、彼女は自分も柏餅を口に入れる。実は味見をしていないので食べるのは彼女も初めてだった。
「これ……まず、いえ、ありがとう」
 一瞬出かかった言葉を飲み込んで、改めて礼を言う。
 それは、言葉遣いだけで言えば粗暴にも見える彼なりの気遣いだったのかもしれない。
 マーガレットはしばらく雑談をした後、短冊を受け取って館を後にした。
 少し気になってしまって、預かった短冊に書かれた内容を見る。
 そこには『皆が笑って、過ごせる時が来ますように』とあった。一方、マーガレットは自分の短冊には『このマテオ・テーペの日々が長く後世に語り継がれますように』と書いていた。
 竹藪に向かいながら、笑って後世に語り継げる、そんな世界が訪れるといいな、とマーガレットは思うのだった。

 

*  *  *


 一方、別の場所。
 そこは港町にある居酒屋兼飯処「真砂」である。
 いつもは客でにぎわう時間帯。しかし、今日真砂は臨時休業となっていた。ただ店内には数人の姿があり、賑々しい雰囲気となっている。
「みなさんの分の浴衣がこれです。こちらで合いそうな柄を選んで丈を直しておいたんですが、どうですか?」
 店主である岩神あづまは、集まった数人の女性にそう声を掛けつつ用意しておいた浴衣を広げる。
「わぁ…可愛いですね」
 ピア・グレイアムがそれを見て思わず声を出す。彼女に用意されたのは向日葵の花をあしらった柄の浴衣だった。大輪の向日葵が鮮やかだ。
「ねぇねぇ、私のはどっち?」
 用意された浴衣は残り二つ。紫陽花と白百合が描かれたものだった。
 そう聞いてきたメリッサ・ガードナーに、あづまは紫陽花を指差した。向日葵の明るさとは対照的に、華々しくもしっとりとした雰囲気のものだ。
「どっちの浴衣も艶やかで素敵じゃないか。いいね」
 その様子を少し離れた椅子に座って見ていたヴァネッサ・バーネットが、感想を漏らす。
「この浴衣はヴァネッサ先生用ですよ」
 そんなヴァネッサに向けて白百合の浴衣を掲げ、あづまがにっこりと微笑んだ。
 当然着ますよね、という雰囲気が言外に色濃くにじんでいた。
「いや、あたしは見学に来ただけで……」
「着なきゃもったいないよ、一緒に楽しもう!」
 着るつもりはなかったヴァネッサがたじろいでいると、浴衣を差し出しながらメリッサが畳み掛けるように語りかけてくる。
「そ、そうか……ならせっかくだから試着させていただくかな。たまには白衣も脱いで、一緒に楽しむか」
 まんざらではない様子で彼女が応えると、他の三人の表情が一気に華やいだ。
 そしてさっそく、三人は着付けをすることになる。と言っても、もちろんそれはあづましか行えないので、順番にやってもらうことになった。
 着付けをしながら、料理の話やその他雑談などに花が咲く。周りを取り巻く状況は重苦しいことが多いのだが、四人にとって今、この時だけは平穏な、そして楽しいひと時が流れていた。
「じゃあ、せっかくだからこの場で短冊を書いて、皆で飾りに行きましょう」
 綺麗に髪を結いあげたメリッサが他の皆を振り返って、にこやかに言う。あづまはついでにと三人の髪を手早く、かつ美しく東洋風に結い上げてもくれたのだ。
 そして四人は、それぞれに短冊を書きあげ、皆で揃って竹藪に向かったのだった。

 

*  *  *


 真砂で女性四人が着付けをしていた頃。
 短冊が風にそよぐ竹藪の前では、ラトヴィッジ・オールウィンを輪の中心として人が集まっていた。
 その視線の先は、ラトヴィッジの手の中の小さな紙切れへと向かっている。
 それは彼が孤児院時代に覚えた折り紙というものだった。彼は、その折り紙で飾りを作り、竹藪を華やかに飾ろうとしていたのだった。
 集まっているのは事前に声を掛けていた者たちと、偶然居合わせてラトヴィッジの話に興味を持った者たちである。
 周囲に対し、彼は輪飾り、天の川、星飾り、くす玉など、折り方を説明しながら一つずつ折っていった。
 折り方を知らない周囲の者たちは一枚の紙が色々な造形に変わっていくさまを見て感心しながらも、同じように飾りを作り始めていく。折り紙・糊・鋏・糸などの必要なものも、ラトヴィッジが用意して配っていた。
「笹を飾る…いいね。願われるコイツ自身が彩られねぇのは寂しいじゃねぇか、彩ろうぜ」
 そう感想を漏らすのは、クロイツ・シンだった。見た目はいかつい強面だが、その表情は優しげだ。むしろ率先してラトヴィッジの話を聞き、作るものを分担したりと手伝いをしている。見た目の印象だけでは判断できないタイプのようだ。しかも、体格的に目立つので周囲の注目を浴び、より多くの人を集めているようでもある。
「こっちでも、知らない人がいたら作り方教えるよ――器用じゃ無い人は輪っか、あと網飾りなんかもいいかも」
 また、一部だが他にも折り紙を知っている者もいた。その中でもトモシ・ファーロは、率先して周囲の者に声を掛け、折り方を教えている。
「くす玉も作ろう。みんなで手伝ってもらってくっつけたら綺麗だよね。鶴も?いいよ。先に一度作って見せた方が分かりやすいかな」
 次々と質問などが挙がる中、一つずつ答えながらトモシは作業を進めていった。その結果、さまざまな形の飾りが皆の手によって作られていく。
 そしてイリス・リーネルトも、折り紙の折り方を知っている一人だった。
 彼女の作っているのは星である。やはり七夕と言えば星空。空も星も見えないマテオ・テーペだからこそ、星飾りを作って星に見立てる。
 そこには、少しでもみんなの願いが届くように――という純粋な思いがあった。
「みんなの願いがお星様に届きますように」
 思わず口に出た言葉に、周りの皆も感化されたように、イリスに作り方を乞い始める。
 しばらく経つと、イリスとトモシのお蔭もあって、かなりの数の飾りが出来上がっていた。

「いやはや……なかなか、細かい作業ですねこれは……ちょっと、本気を出させてもらいましょう。できる男は本気を出すとき眼鏡をかけるものなのです」
 飾りを作る集団の中で、リュネ・モルは目を細めながら苦労していた。
 ただ、本気を出すと言いながら取り出したのは老眼鏡である。単に老眼で見づらいのだけなのだろう。
 それで少しはやりやすくなったのか、ラトヴィッジやトモシの説明を聞き、なんとか飾りがいくつか作り上げる。
「やっとできました……ん?」
 その時だった。苦労して作り上げた飾りを目を細めながら見ていたリュネの視界に、見慣れないシルエットの女性たちが映る。
 それは、浴衣を着たピア、メリッサ、ヴァネッサの三人だった。彼女らは自分の短冊を竹に吊るした後、こちらへやってきてトモシに飾り作りを教わろうとしていたのだ。
 その様は、異国情緒も相まってかなり目立っていた。結い上げられた髪から覗くうなじが艶めかしい。
「これはこれは、お嬢さん方、いや、実に美しい! ちょっとお話でも」
 その三人は、いまだ女性の短冊を探して近くをうろうろしていたロスティン・マイカンにとっても格好の標的だった。飾り作りに集中したい彼女らにあしらわれながらも、めげずに声を掛け続ける。
 その前向きさだけは見習うべきところもあるのかもしれない。
「こんなに美しい女性たちにお目に掛かれて感涙です。だからか、前がよく見えません……」
 リュネも浴衣姿の女性たちに釘付けである。前がよく見えないのは、老眼鏡を外すのを忘れているからだからだが。
「それが浴衣ですか? 試着って、まだ間に合いますか? わたしも着てみたいんですが……」
 そんな男たちのはしゃぎようとは別に、イリスがあづまを見つけて遠慮がちに聞く。実は彼女も浴衣を着てみたかったようだ。
「大丈夫よ。でも、サイズが合うものが無かったら後日になるけど、いい?」
 あづまのその返事に、イリスは野の花が咲いたかのような気持ちの良い笑顔となるのだった。

「綺麗になったな」
 至る所にかなりたくさんの笹飾りが取り付けられた竹たちを見て、クロイツ・シンはラトヴィッジ・オールウィンに語りかける。
「お前、騎士って感じにはあんま見えねぇけど……でも、俺はお前みたいな奴のがいい」
 クロイツのその言葉は、ラトヴィッジにとっては心地よく響くものだった。ありがとうと応え、彼は自分も飾りをつけようと梯子を設置して登りだす。そうして、高い位置にも飾りをつけていくつもりだった。
 高い位置から見下ろすと、飾り立てられた竹がよりいっそう華やかに見えた。その中で、皆それぞれの願いを込めた短冊が風にそよいでいる。
 そして飾りと一緒に、他の者に見られないようこっそりと高い位置に吊るした自分の短冊をちらりと一瞥する。
 そこには『サーナが心から幸せに笑える日が来ますように。そして出来れば、その隣に居られますように』と書いてある。
 皆の願いが叶いますように。ラトヴィッジはその様子を見ながら、心からそう思った。

 

*  *  *


 それからしばらく時間が経って。
 竹の飾り付けはほぼ終わっていたが、集まった人々はその場で雑談をしたり、七夕飾りや他の人の短冊を眺めたりと、まだまだ竹藪周辺は賑わっていた。
「七夕いうんは、おりひめさんとひこぼしさんて二つの星が一年に一回だけ会える日なん。星って何なん? ちっちゃい光の粒が空いっぱいに敷き詰められてるん。七夕だけちゃう、その沢山の星の数だけ物語があるん。皆、そんなお話知らない?」
 賑わいの中、ともするとそんな人だかりの中に埋もれてしまうほどの背丈の女の子、バニラ・ショコラが周囲に語りかける。
 彼女は記憶喪失であり自分の思い出はほとんど無いのだが、なぜかこういった知識だけは豊富だった。
「懐かしいなぁ。確かにそんな話が俺の故郷にあったよ。他にもね、こんな話があるよ」
 それに対しにこやかに会話を交わすのはコタロウ・サンフィールドだ。
 自分の知っている他の話をしてやると、バニラの顔がほころぶ。星はもちろん見えないのだが、星の話をするだけで気分は七夕、という気にもなるのは不思議な感じだ。
 ちなみに、とバニラにどんな短冊を吊るしたのかと聞いてみる。すると返ってきたのは『せかいがほろびていませんように』だった。
 そんな願いを聞いてコタロウは遠く離れた、今は無事かどうかも分からない故郷へと思いが飛ぶ。
「星の話かぁ……本物でなくとも、星を飛ばしてみんなで観たかったけど、仕方ないかな」
 そうしていると、二人の話を傍らで聞いていたオーマ・ペテテが星の話題繋がりで思い出したのか、自分のやろうとしていたことを語った。
 彼は、月の代わりにと魔法で疑似的な星を打ち上げようと考えていたのだ。ただ、やはりそれは今は無理で、短冊に『来年は星まで願いが届けられるように』と書いて吊るすことが、今できる精一杯のことだった。
「短冊にも書いたけど、来年には偽物だとしても、皆に星を見せてあげたい」
 星の話をせがむバニラとそれに応えているコタロウの前でオーマは続ける。
 コタロウはそれに対し「短冊に書いたことが叶うといいですね。」と返す。
 確かにこの世界でも星が見えたのなら、このイベントもきっと、もっと華やいだものになるだろうと思えた。
「願い事と言えば、ちなみにあなたは何を書いたんです?」
 話題が一段落したところで、オーマがコタロウに聞く。それは、単純に興味本位でのことだった。
「ああ……ちょっと利己的な願いを書いたんで、内容は秘密にさせてほしいな」
 コタロウは恥ずかしげにそう返す。そして話題を変えようと、近くにある短冊に手を伸ばした。手にとったそれには『みんなにほんのちょっと良い事がありますように』とある。他にも近くの短冊を見てみると、『おひさまの光が、ずっと私達を照らしていてくれますように。皆が笑顔でありますように』だとか、『涙が枯れる前に、癒しの光が降り注ぎますように』と書いてある短冊などがあった。
「ほら、やっぱりこの世界のこととか皆のことを願う短冊が多いみたいだし。皆、何かに希望を託したいんだろうね……」
 コタロウは自分の事のようにそう語った。それもそのはず、彼の短冊も『日頃から世話になってるんで、この国に住む皆に幸いがあるとすこぶるありがたい』だったからだ。
 本当に、この世界や住む皆が幸せになれたらいいのに。
 彼は心の中でそうつぶやくのだった。

 一方、賑わう人たちの中でこれから短冊を吊るそうとする者たちも、まだ多くいた。
 アウロラ・メルクリアスも、その中の一人だった。
 彼女が吊るそうとしている短冊も『無事にみんなで太陽の下に出れますように』というものだ。
 願いが叶うといいな、という思いを込めて、少しでも高いところに吊るそうと手を精一杯伸ばす。
 しかしそれに夢中になっていたせいか。
 両足が義足だろうといつもなら健常者以上に運動神経の良い彼女が、バランスを崩しそうになる。
「大丈夫ですか?」
 そんな彼女の腕を取り支え声を掛けたのは、近くでちょうど短冊を吊るそうとしていたリエル・オルトだった。
 リエルはアウロラと歳もほとんど変わりはないのだが、アウロラの方がかなり小柄で、並ぶと二人は姉妹のようにも見える。
 その時、アウロラの目にリエルの吊るそうとしていた短冊が目に入ってしまった。
 それは、『皆で温かいお日様の光を浴びて、風に吹かれながら美味しいランチが食べれますように』というものだった。
 リエルの方からもアウロラの短冊が見えたのか、二人はくすりと笑いあう。
「やっぱり今はこれが一番だよね」
 アウロラがそう話す。リエルは頷き、こう返した。
「見せて貰った分、早くお願い事が叶いますように」
 二人はそれからしばらく、先ほど口にしたような思いで他の短冊を見てまわった。中には『今の私にはあの人の胸中はわかりません。ただ、せめてあのひとが危険なことをしませんように』といったものや、『避難したお母さんと弟が元気でありますように』といった切実な思いを綴ったものも多くあった。やはり自分だけではなく、皆や他の誰かの無事などを祈るものが多い。
 少しでも多くの人の願いが叶うといい、と二人は改めて思う。

 東方に伝わる、願いを書いた紙を吊るして願掛けする日、か。
 人の輪から少し離れたところで、リベル・オウスは一人たたずんでいた。七夕のことは知っており、興味が無いわけではないので来てみたのだった。
 しかし彼はどうにも集団にはなじめず、一人、竹藪の外れで吊るされた短冊を眺めていた。
 手にとった短冊には、『無事に箱船に乗り込み再び大地を踏みしめることができますように』と書いてある。その隣には、『航海安全祈願!』というものもあった。
 ――なんだか色々書いてあるが、自分で叶えるべき願いを誰かに委ねる神経はあまり理解できねえ。まあ一種のゲン担ぎみたいなモンといえば、それまでだが。
 ――しかしまあ、自分もこの場に来ているのだから同じようなものか。
 そんなことを思いながら、自分も短冊に何かを書き始める。
『俺はいいから、他の誰かの願いを叶える糧にしろ』
 そこまで書くと、さっき読んだ短冊たちのすぐ傍に吊るした。
 ――とはいえ、俺はそういうのに頼りたくねえから紙に書くのはこんなモンでいいよな。俺の願いは、俺だけのモンで、それを叶えるのも俺の力によってだ。神だのなんだの、いるかわからん曖昧な奴の力なんて借りてたまるかよ。
 それが彼の考えだった。竹藪にたくさん飾られた短冊を一瞥して、彼はその場を立ち去った。

 それとは別の、こちらも人の輪から離れたところ。そこでは母が持っていた浴衣を着たアリス・ディーダムが一つの短冊を見つけていた。
 『星降る夜を取り戻す』
 その内容は星空の見えないこの地では、取り立てて変わったところのないものだった。
 ただ、アリスには分かる。この内容、そしてこの筆跡はあの人のものだと。
 星空を眺めることが好きだと言っていたし、間違いない。
 ――こんなところで出会えるのも、運命かもしれない。
 そう思いながら、自分も赤い短冊に願い事を書いて隣に吊るす。
 そこには『好きな人とずっと一緒に居れますように。安らげる存在になりたいです』と書いていた。
 そして、自分の想いが、あの人の願いが届くようにと祈る。
「あら、あなたも浴衣なのね」
 その時だった。突然背後から声が掛かって、アリスは思わず跳ねあがった。
 振り向くと、自分と同じように浴衣を着た女性が立っていた。彼女も浴衣を着ている。
 アリスが花火柄なのに対して、相手は大人っぽい紫陽花の柄の浴衣だった。
 その顔を、どこかで見たことがあるような気がした。
「あら……ええと、確か、魔法学校で会ったことあるよね。私はメリッサ。お名前聞いてもよいかしら?」
 彼女――メリッサ・ガードナーは、年上の女性らしい落ち着いた笑顔で語りかけてくる。言われてみれば、レイザ先生に相談しに行ったときにその場にいた女性だった。
「願い事、叶うといいね」
 吊るしていたところを見られたのだろう、彼女はそう続けた。
 アリスは、顔が火照るのを感じる。
 と同時に、相手の裏表の無さそうな笑顔に、自分の想い人が誰であるかは知らないのだ、と気づいた。
 どうやら、隣にあるのがあの人の短冊だということにも気づいていないようだった。
「メリッサさんは何を書かれたんですか?」
 照れ隠しもあって、そう返してみる。その言葉に秘密、とメリッサは返してきた。しかし、隣にいたあづまが近くにあったメリッサの短冊を教えてくれた。
 そこには、『マテオ・テーペでクライミング!!』と大きく書いてあった。
 照れるメリッサに、アリスは、叶うといいですね、と素直に返す。
 一方――メリッサは、短冊の裏にこっそりと書いた内容が誰にも気づかれなかったことに、ほっと胸をなでおろしていた。
 風が吹いて、メリッサの短冊が翻る。
 そこには本当に小さく『そばにいたい』と書いてあった。

 

*  *  *


 やがて日が暮れる時間が近づいた頃。
 多少人は減ったものの、まだ竹藪の周りは賑わいを見せている。
 そんな中でも一際人を集めているのは、シャオ・ジーランだ。
 彼は周りの賑わいを見て、自分も雰囲気を盛り上げようと故郷で覚えた曲芸を披露していたのだった。技を一つ見せるたびに、周囲から拍手が挙がる。
「すごいです、シャオさんは色んな事を知っているんですね」
 特にピア・グレイアムは、人だかりの前列で、一際大きく手を打ちながらそう声を掛けていた。
 それで調子に乗ったのがいけなかった。
 もともと見よう見まねで教わった芸なのに、大技をやってみせようとしてしまった。
 籠に集中していて足元が疎かになり、思わず足を滑らせてしまう。
 そのまま竹藪に突っ込みかねない勢いで、激しく転ぶ。
 拍手が一気に止み、何人かがシャオに駆け寄った。
「アイヤー……イタタ……やはり久しぶりだと厳しいですね、お酒を飲めばこんな傷すぐに治りそうですが」
 助けてくれようとした人たちを安心させるためもあり、シャオは軽い調子でそう応えた。
 それはあくまで冗談のつもりではあったのだが。
 話を聞いて、周囲からお酒が差し出された。良いものを見せてもらったから、という理由を添えて。
 いまやお酒は貴重な品。それを知っていたからこそ、シャオはありがたくいだたくことにした。
 奇しくもシャオの吊るした短冊の内容、『おいしいお酒やおいしい食べ物にありつけますように』はある程度だが叶ったようだった。
 美味しいお酒を少しだけいただきながら。
 今は貴重なお酒だけれど、いつかきっと好きなだけ飲んだり食べたりできる日が本当に来るといい、彼は思うのだった。

 貴重なお酒と言えば。
 シャオたちの騒ぎから離れたところで、一人、腰を下ろして朗らかな賑わいを眺めながら酒を飲んでいる女性がいた。
 それは、トゥーニャ・ルムナだった。
「みんな仲良く、か」
 例え近くに寄り添っていても聞こえたかどうかというほどの小さな声で、彼女はつぶやいた。
「それが出来ればどんなに素晴らしいことか」
 そう続けて、自虐的な笑みを浮かべる。
 この場だけみれば平和に見えるが、世界の現状は重苦しく、決して明るいものではない。
 ――何を持って『仲良く』と言えるの?
 ――異端を排除して同じ気持ちの人間だけ集まればそれで良いの?
 こんなこと、以前は考えもしなかった。以前の自分なら、きっと、あの集団に混ざって楽しく過ごしていただろう。
 また一口、酒を口に運ぶ。
 彼女の横には、吊るすことのなかった短冊が寂しげに佇んでいる。
 短冊は、黒く塗りつぶされていた。
 そこに書かれていた『仲の良い頃の皆にまた会いたいな』という内容は、彼女以外誰も知ることはない。

 



■ライターより
 こんにちは、実はここの欄を書くのは今回が初めての鈴鹿です。このシナリオについては、全ての執筆をさせていただいております。
 マテオ・テーペではリアクションをメインで書かせていただくのは初めてですので、かなりドキドキしながら執筆させていただきました。七夕の、思いを込めてそれに馳せる雰囲気が出せていれば幸いです。ちなみに私はかなり楽しんで書かせていただきました。
 次回からは後半戦が始まります。私はお手伝いに戻りますが、より一層頑張って書かせていただきますので、マテオ・テーペをこれからもよろしくお願いします。